1972年9月9日クロアチア生まれ。子役としてキャリタをスタート。 21歳で「ハムレット」のタイトルロールに抜擢され、当たり役に。演劇界で活躍し、クロアチアの演劇賞オルランド・アワード(米トニー賞にあたる賞)を受賞。1990年代後半よりアメリカに進出。映画「ピースメーカー」「プラクティカル・マジック7」「ラウンダーズ」やマドンナのPV"Power of Goodbye"を経て、「ER」ルカ役でブレイク。「ノンストップ・ガール」「エレクトラ」「スパルタカス」などに出演。クロアチアの彫刻家 Ivana Vrdoljakと1999年に結婚。
ゴラン・ヴィシュニックが「ER」のキャストに仲間入りしてから7年半が経つ。番組開始当初のキャスト・メンバーが全て“退職”した今では、“古株”であるDr.コバッチュだが、演じるヴィシュニックは自分が“ベテラン・キャスト・メンバー”だという意識は全く無いと言う。
「自分がベテランだなんて感じたことは無い。新しいメンバーが入ってきても、すぐうちとけてしまうからかもしれないし、僕はこの番組にとって最初の“新米”だったからかもしれないね。そう言えば、僕が初めて『ER』の収録に来た日に撮影所でジョージ(・クルーニー)にバッタリ会ったんだよ。ジョージは、『やあ、君は新しく入ったメンバーだろう?』って声をかけてきてくれて、僕たちは15分ぐらい立ち話をした。ジョージは、『君はこの仕事がすごく気に入ると思うよ。キャストもスタッフも皆、素晴らしい人たちばかりだからね。きっと楽しく仕事できるよ』と言ってくれた。僕は、『ER』という超人気番組に出演するためスタジオ入りした初日だったから、すごく緊張して『僕はこんな所でいったい何をしているんだ。僕みたいな間抜けはとっとと帰った方がいいんじゃないか』なんて思っていたから、ジョージの暖かい言葉で本当に救われたんだよ」
「そう。『ER』での7年半で、英語はずいぶん上達させてもらったと思う。コバッチュはクロアチア出身という設定になっているから外国語訛りはあって当然なんだけど、初めは視聴者が僕の英語を理解できるかということが心配だったから、最初の3年間は発音コーチにもついたんだ。もっとも、『この言葉が解らないんだけど』と言わなきゃいけない言葉のほとんどは医学用語だったから、それは僕に限らず他のキャストの皆も同じだったりしたけどね」
「いや、実はそんなことはないんだ。だいたい1日12時間平均ぐらいの撮影だよ。『ER』を収録する11番スタジオは、番組が始まった時に病院を建てる建 築家が撮影監督と一緒に照明をセットアップしていて、たいていはその照明設定のまま撮影するので、速く済むんだ。ただし、スタジオの外で撮影する場合や、 交通事故や列車事故のエピソードなんかの時はいつもより時間がかかるけど。でも、ロケーション撮影は楽しいことが多いから苦にはならないよ。あと、赤ちゃ んが出演する時も予想以上に時間がかかることがある。機嫌が良くなきゃいけない時に泣かれたり、泣くシーンで全然泣いてくれなかったりすることが往々にし てあるからね」
「もちろん。しかも、僕は7年半の間ずっとコバッチュを演じてきたんだからね。劇場用映画のように次々と違う人間を創り出すのではなくて、ずっと同じ人間を演じてきたわけだから、脚本に書いてあることを、自分自身や自分が置かれている状況をふまえながらも、自分だったらどのような言動を取るかということを考えるようになる。そうじゃないと気がおかしくなってしまうと思うよ。もちろん、幸いにも、僕はコバッチュの身に起きたような事を経験したことは無いけれど、僕はそのようなやり方で役作りをしてきたんだ」
「(キッパリと)ローラ・イネスが演じているドクター・ケリー・ウィーバーだね。自信に満ちあふれている感じがするし、信頼できるように思えるからね。何か問題が起きたら、彼女のところに行けば解決してくれるような気がするんだ」
「他の番組に人気が出ても競争意識みたいなものは持たないなあ。『ER』は13年続いているドラマだ。その間、俳優たちが入れ替わって、今や最初のシーズンに出ていたキャストは誰も残っていない。ジョージが番組を去った時には心配の声もあったと思う。『このドラマはこれからどうなるのだろう?』って。でも、それでも『ER』はちゃんと続いてきた。特定のスターあってのドラマじゃなくて、素晴らしいストーリーが展開する、言ってみれば“自立できている”ドラマだからなんだ。キャスト・メンバーも、『誰それの方が台詞が多い』とか『私の出番が少ない』なんて気にする人間は居ない。つまらないエゴなんて全く出てこない現場なんだよ。僕なんかは、時々マンネリを感じるとプロデューサーに『僕の役にもっと面白いストーリーを持って来てよ』なんて愚痴をこぼしては、『毎シーズン、そんなこと言ってるじゃないか。困ったヤツだな』なんてボヤかれるけど、ちゃんとこっちを驚かせてくれるようなストーリーを用意しておいてくれる。そうやっていつも新鮮なドラマ作りを心がけているからこそ、13シーズンめを迎えてもいまだに1500万人の視聴者がこの番組を観続けているんじゃないかと思うよ」
【ロサンゼルス(米) 荻原順子 2006年10月】
1959年8月16日、ミシガン州に6人兄弟の末っ子として生まれる。ノースウェスタン大学で演劇を学び、シカゴとニューヨークで舞台経験を積んだ後、ロサンジェルスへ進出。TV出演のほか、脚本執筆や監督業も精力的に行っており、本作はもちろん、「ザ・ホワイトハウス」も数エピソード演出、エミー賞監督賞にノミネートされている。
第二シーズンから「ER」に出演してきたローラ・イネスは、現在のキャスト・メンバーの中では最古参になる。本国アメリカでは1999年に放映された第5シーズンからは監督も務め、「ER」ではこれまで10エピソードを監督した他、「ザ・ホワイトハウス」でも5つのエピソードを監督している実績の持ち主でもあるゆえ、まずは彼女が監督をすることになった経緯を聞いてみた。
「監督をするつもりなんて全く無かったんだけど、私は舞台出身なので、映画とかテレビの現場の経験が乏しかったの。そこで、いろいろ技術的なことを質問していたら『へえ、監督したいの?』と聞かれたので、『違うわよ』って答えたものの、結局、監督を任されることになっちゃったのよ。『どういうこと?私、監督なんかしたこと無いのに』って言ったんだけど、『大丈夫、大丈夫』なんて言われちゃって...私が初めて監督したのは、病院が停電する事態になる『停電』(第111話 シーズン5)というタイトルの付いたエピソードで、とてもうまくいったんだけど、すごく大変だったわ。俳優だったら、自分の役のことだけ考えていればよいけれど、監督だとキャストやスタッフ全員とやりとりして、すべての事に気を配らなければならないでしょ。1日12時間~14時間の撮影にどっぷり浸かっている状態で、素晴らしい経験だったけど、終わった時には疲れ果ててしまったわ」
「凡庸な答になってしまうけれど、私にはどちらも面白いわ。監督をしている時、俳優たちを見て『私だったら、こういうふうに演じるけどね』と思った翌日、自分で実際に演じてみるととてもむずかしいことが判ったりすると、謙虚な気持ちになるわね。監督と俳優という2つの役割の間を行ったり来たりすることがとても良い勉強になっていると思う」
「そこがテレビの興味深いところだと思うわ。あなたの言う通り、こういうドラマだとずっと変わっていないのは、その役を演じている俳優だけだから、新しく番組に参加した脚本家が考えたストーリーや台詞に対して、たとえば『ねえ、彼女は恋人が死んだばかりだから、こういうことで冗談は言わない方がいいんじゃないの?』と提案したり、監督の演出について、たとえば『ちょっと、それはオオゲサ過ぎると思うな』と意見を言ったりすることもあるのよ。つまり、私たちがそれだけ自分たちの役に入れ込んでいるということなんだけど。でも、それと同時に、私たちは誰かに、自分の役が留まっている“安全地帯”のようなところから押し出してもらって飛躍しなければいけないということも確かだし。そのあたりのバランスをとることが重要なんだと思う」
「是非、コメディを監督してみたいわ。たとえば、自分がすごく気に入っている"The Office"とか。アーロン・ソーキン(「ザ・ホワイトハウス」のクリエイター)とも、もう一度、仕事をしたいから"Studio 60 on the Sunset Strip"も手がけてみたいと思っているの」
「あら、嬉しいわ。私だったら、メキー・ファイファーを選ぶけどね。だって、彼を観ていると楽しくなるんだもの」
【ロサンゼルス(米) 荻原順子 2006年10月】
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