きっかけは、映画『アメリカン・ビューティー』だった。とても美しくて個性的だと思ったわ。だから、エージェントからこの役の打診があったと聞いた時、「アラン・ボールに会えるんだわ!」って喜んだわ。私にとって、結果に繋がらなかったとしても、一緒に仕事をしてみたいと思う人に会えるのはそれだけで素晴らしい事だから。
とても美しい脚本だと思ったし、アランが書いたルース役を私が演じられたら素晴らしいと思った。彼とのオーディションは、ロサンゼルスで2回行われたの。当時、私はニューヨークのブロードウェイでアーサー・ミラー作の舞台に出演していて、パトリック・スチュワートと共演していた。だから、「もし役をもらえなくてもこの仕事があるから大丈夫」って考えて、とにかく平静を保ったわ(笑)。舞台の合間を縫って東と西を行き来するのは大変だったけど、ルース役が決まったとわかったときは嬉しかったわ。
いいえ、実は今でも細かい事はわからないの。ルースは死体に触れなくていい立場だったし、フレディが死体を縫ったりする役だったから、その辺からは免除されていたから。多分、この作品の影響で、死と直面して葬儀社に行くという行為に対する、謎めいていて恐ろしいという感覚が少しは薄らいだのではないかしら。それに、葬儀社自体が少し身近になったみたい。(聞くところによると)このドラマを観て、葬儀社を経営したいという人が増えたようだから。
彼女(ルース)は、2世代の生き方を掛け合わせた女性だと思う。私の成長期に鮮明に記憶している様々な母親達と、70年代に青春を過ごした私の記憶がまざっているのよ。あるエピソードの中で、彼女がジョニ・ミッチェルの歌を口ずさむ場面があるんだけど、彼女にとっては、とても象徴的で重要なシーンなの。彼女の年代のモラルを、やさしくてかわいらしいやり方で表現していると思うわ。
ドラマの始まりでは家族の皆が問題を抱えていて、ルースは子供たちのことも全く理解していなかった。そして夫以外の男性と寝ていて、結婚は暗礁に乗り上げていた。カウンセリングを受けるか、離婚する必要があったと思うわ。でも、もし彼女と同じ立場だったら、私も同じことをするしかなかったかも......。
ルースに関して言えば、アランは「着飾らない普通の中年女性が、人生の中で恋に落ちたりいろいろな出来事を経験するのを描きたかった」と言っていた。ルースはその通りの女性だわ。彼女は愛すべき人だけど、朝から美しく着飾ったりはしない。時々、テレビや映画で、これから寝るというシーンなのに女優が厚化粧だったりするけど、「普段そうやって寝るの?」って思っちゃう(笑)。アランはその点、リアルな中年女性の生き様を表現しようとしていたの。 でも、アランは「こうしなさい、ああしなさい」と言う指示を出したりはしなかった。彼は役に合った俳優をとても慎重に選ぶから、キャラクターと俳優が自然と合っていて、あれこれ注文をつけたりする必要がなかったんだと思う。アランは舞台出身だから、たくさんの舞台を観ていて、私たちの舞台での表現力もよく分かっていたのね。ネイト役のピーター・クラウスとデイヴィッド役のマイケル・C・ホールと私は、ニューヨークの演劇学校で学んだし舞台経験が豊富なのよ。クレア役のローレン・アンブローズは舞台と音楽をやっていて、とてもいい歌声を持っているわ。
この夏、ロサンゼルスで舞台に立ったの。このドラマに出演して以来、6年間も舞台はお休みしてたから、ずっと舞台をやりたいと思っていた。舞台を再びやるというのはとても面白かったわ。スタジオの撮影と違って、観客の反応を受け止めながら演技をして、誰にも「カット!」って言って止めないしやり直しもきかない。とにかくセリフをしゃべっていくしかないの。舞台はそこが面白くて、素晴らしいのよ。 テレビだと、演技中にカメラやクルーが直ぐそばにいるけど、その存在を忘れて演技しないといけないでしょう。でも、カメラなんてあんな大きなモノが目と鼻の先にあったら、忘れるなんて難しいわよね(笑)。そして、時には同じシーンを10回もやるんだけど、撮影の度に同じ命を吹き込まなければいけないの。 一方、舞台の場合はステージに一歩踏み入れたら、もうそれは自分の世界になる。その世界を観客と共有するの。そして、それを週に8回繰り返す。でも、どちらの場合も集中することは同じね。自分がすることやセリフを言うことの中に自分自身を確立し、自分自身をその人物に投影するというのが、私たちの仕事なのよ。
シーズンを重ねて俳優のことが分かってくると、脚本家はキャラクターと俳優の融合をはかろうとする。俳優とキャラクターの性格が、どんどん近くなるように脚本家が書いていくわけ。だから、時には「ルースがこんな事するかしら?」って思いながらも、演技をしているうちに「ルースがこうするなら私もやるしかないわね」なんて思ったりしたわ(笑)。 自分がキャラクターの中に入っている、ということを実感するのはとても興味深いことよ。例えば3日間休みがあったとしても、私の中にはキャラクターが生活の一部として存在していた。部屋を掃除していても、友人と会っていても、電話が来ればすぐに撮影現場に戻って仕事をしなきゃいけないから、常に緊張感をひきずっていたわね。
私たちは、本当にたくさんの偉大な監督を迎えたわ! 映画『彼女を見ればわかること』のロドリゴ・ガルシア、アラン・ボールと一緒にプロデューサーをやっているアラン・プールとかね。同じHBOのドラマ「ザ・ソプラノズ」から来た監督(ジョン・パターソン、アレン・コールター他)が担当した回もあって、面白かったわ。キャシー・ベイツも素晴らしい監督ね。彼女は俳優でもあるから、俳優は演技に入る時間が必要だって知っていて、「OK。俳優にちょっと時間をあげましょう」って言ってくれるの。他にも映画『ハイ・アート』のリサ・チョロデンコとかの女性監督が何人かいたし、またぜひこれらの監督たちと仕事をしてみたいと思っているわ。
HBOでは、制作をよくサポートしていると感じるわ。監督やプロデューサーに「これは経費のかけすぎだ」とか「時間のかけすぎだ」とか、「この衣装はダメ」などとは絶対に言わない。「ノー」って言ったのを聞いたことがないと思う。監督が必要なものは何だって、時間でさえもHBO側で用意してくれた。私は、80年代に何度かゲスト出演したくらいでTV経験は多くはないけれど、HBOは一緒に働くのには本当に素晴らしい人々だと思うわ。
HBOは内容や表現、言葉などに規制が少ないという状況をとてもクリエイティブに利用して、それまでネットワーク局が作れなかった創造性に富んだ作品を送り出してきた。視聴者もそういった作品を求めていたと思うわ。そうしたらネットワークも真似をし出して、今ではネットワークのプロデューサーたちも、少しずつ制約を緩和させてきている。 ネットワーク局で仕事をしている脚本家の友人や関係者の知り合い達から聞かされるのだけど、ネットワークでは作品が打ち切りになるのがすごく早いのよ。大勢のスタッフが関わって、お金と労力をつぎ込んでパイロット版を作っても、結局放映されないなんてこともあるの。何か間違ってると思うわ。でも、それも最近は減ってきているみたい。HBOを見習って、制作のクリエイティブな面に譲歩をするようになってきているようね。
彼の写真を見せなきゃ(笑)。とてもハンサムなのよ! 1992年に日本に一緒行ったこともあるの。私は1985年に、舞台の仕事のためにカルフォルニアのサンディエゴにやってきて、ついでにロサンゼルスを訪れたの。その当時、私は最初の夫と数年前から別居中で、ジュリアード時代の友人がロサンゼルスに何人か住んでいたから、そこを転々としていたときに今の夫のジャンに会ったのよ。 学校の友人の友人だったジャンは、また貸し物件を知っているというので紹介してもらうことになって。その家は、ジャンが住んでいるところのお向かいさんだった。彼はよくウチに寄ってくれて、私はテレビを持っていなかったから、しばらくテレビを貸してくれた事もあったわ(笑)。 ともかく、最初は彼とは単なる友達関係で、私のロサンゼルスで頼りにしていた友人の一人だった。その後、最初の夫と離婚することになって「私の人生ってどうなるのかしら」と思いながら、手続きを終えてロスに戻った時、ジャンが空港まで迎えに来てくれたの。ある晩、私は笑いながら「ねえ、私たちの間には何かあるでしょう」ってジャンに言ったら、「やめろよ」って言われたわ(笑)。 1987年には、私は映画の仕事でニューヨークに戻ったんだけど、ジャンと私はお互いの所を行き来していた。でもある日、しびれを切らした私がジャンに「結婚してくれないなら、もう口をきかないわよ」と宣言したの。そうしたら翌日が結婚式になったの(笑)。
「シックス・フィート・アンダー」のルース役、フランセス・コンロイのインタビューが、彼女のたっての希望によりロサンゼルスのリトル東京のすぐ近くにある、日系ホテルのミヤコホテルで実現しました。通常、スターの取材はビバリーヒルズにある豪華ホテルで行われることが多いため、一同「なぜ?」と首をかしげていたところ、本人に会って話しを聞いて納得。「東京の雰囲気が好き」と語るフランセスは、旦那様と一緒に日本を訪れたこともあるという大の日本びいきだったのです! 取材当日は、アンテイラーのプリーツスカートにタンクトップ、ウェービーヘアを無造作になびかせた姿が素敵な西海岸スタイルでしたが、その上からSuper! drama TV 取材班がおみやげとして手渡した着物をはおり、「Beautiful!」を連発して大喜び。鏡の前でポーズをとって、「後姿も撮って欲しいわ」とカメラマンにお願いしたフランセス。90分のロングインタビューが終了した後には、「私がよく行くお気に入りの店の文化堂を案内してあげるわ」と気さくに言ってくれたため、一同フランセスと一緒に「リトル東京めぐり」をすることになりました。
まずは、ミヤコホテルのすぐ隣にある文化堂へ。日本の雑貨があれこれとおいてある浅草にあるおみやげショップのような雰囲気で、フランセスは頻繁にここでショッピングを楽しんでいるそう。続いてリトル東京内にあるフランセスの友人ナオコさんが経営している雑貨屋さん(Blooming Art Gallery)に立ち寄った後、彼女が一週間に一度は行くという、日本食レストラン「T.O.T.」(TEISYOKUYA OF TOKYOの略)でランチをとることになりました。ここはうどんや丼ものなどの日本の定番メニューがそろうこの店で、フランセスは「てりやき定食」に日本茶を頼んでいました。一番好きなメニューは「鍋焼きうどん」で、日本茶は毎朝飲んでいるというから親日派も本物です。
さらにこの後、フランセスは親切にも現在、旦那様と一緒に新築中だという自宅へ招待してくれました。ゲティー・センターを遠くに見渡すことができる高台に位置する自宅では、旦那様のジャンが一同をお出迎え。まだまだ半分も出来上がっていないという自宅を、隅から隅まで自ら説明してくれたフランセス。窓や壁の色一つにしても、旦那様とあれこれ相談して決めているそうで、ジャンが時々口をはさんだりして仲のよいようすからは、二人は今でもラブラブだということがよく伝わってきました。
また、家の裏手には現在寝泊りしているという仮の家があったのですが、外からでもわかるぐらい何匹もの犬やたくさんの動物たちの声でにぎやか! 馬が1頭、うさぎが2匹、犬に家ネコ、外ネコ、そして近所のネコにもエサをあげているとか。インタビュー時に話していた、「家に居る時は一日中ペットの世話をしているの」という言葉も頷けます。既に陽も暮れて暗くなり始めた頃、"ネルソン"という名前の愛犬を抱きかかえる旦那様と一緒に家の前で一同を見送ってくれたフランセス。自然体でオープンマインドなキャラクターが、本当にチャーミングな女性でした。
【2006年9月】