シックス・フィート・アンダー

人々の"死"を通して限りある"生"の現実をシニカルかつユーモラスに描き
全米で絶賛の嵐を巻き起こした描いた衝撃のヒューマンドラマ

お悔やみ

ナサニエル・サミュエル・フィッシャー Jr. (1965-2005)

5月21日(土)自然死をとげる。享年40歳。長男を失ったフィッシャー家のほか、残された家族は妻のブレンダ・チェノウィスと愛娘マヤ・フィッシャー。

ネイト・フィッシャーは1965年1月8日、ナサニエルとルース・フィッシャー夫妻の長男としてロサンゼルスに生まれる。温かく、ユーモアにあふれ、冒険心旺盛なネイトはどこにいってもすぐに友人を作ったという。ボナヴェンチャー・ハイスクール、カリフォルニア大学サンタ・クルス校を卒業後、ヨーロッパを放浪、後にワシントン州シアトルに落ち着く。当時はオーガニック専門大型食料品店に管理職として勤務。

小さい頃から、ネイトはこの世にある美を探求していた。大地、そしてそこに住む人々を敬い、常に人間関係には正直であろうと努めていた彼は、2001年より家業の葬儀社で弟デイヴと共に働きはじめる。そこで持って生まれた才能が開花、難しいときに直面している多くの人々を助けた。

告別式は5月23日(月)午後2時より、フィッシャー・アンド・ディアス(2302 W. 25th Street, Los Angeles)にて行われる。その後、密葬予定。

ルース・オコナー・フィッシャー (1946-2025)

グレンデイルのグッド・サマリタン・ホスピタルにて3月12日(水)死去。
1946年、パサデナで生まれたルースは1963年に高校を卒業、3人の子供を育て上げた。20年前にトパンガ・キャニオンでペットショップ Four Paws Pet Retreatを開業している。

残された家族は、パートナーであったジョージ・シブリー、妹のサラ・オコナー、次男デイヴィッド・フィッシャー(ロサンゼルス在住)、長女クレア・フィッシャー(ニューヨーク在住)。また、マヤ・フィッシャー、ウィラ・チェノウィス、アンソニーとデュレル・チャールズ=フィッシャー、という4人の孫がいる。

3月15日(土)午後2時より、フィッシャー・アンド・サンズ葬儀社(2302 W. 25th Street, Los Angeles)にて告別式、その後密葬される。

キース・ドウェイン・チャールズ (1968-2029)

チャールズ・セキュリティ・カンパニーの創設者キース・チャールズが火曜日朝、突然死亡。

1968年に生まれたキースはウエスト・ポイント・ミリタリー・アカデミーで学び、犯罪学の学位をとって卒業。ロサンゼルス市警に9年間勤務、その後、セキュリティ業界に転職。 残された家族は、夫デイヴィッド・フィッシャーと息子デュレル・とアンソニーチャールズ=フィッシャー、孫マシュー、姉カーラ・チャールズ、姪テイラー・ベノア。なお、サンディエゴに住んでいた両親のロデリックとルシール・チャールズ夫妻はすでに死去している。

告別式は2月18日(日)午後2:00より、フィッシャー・アンド・サンズ葬儀社(2302 W. 25th Street, Los Angeles)にて行われる。

デイヴィッド・ジェイムズ・フィッシャー (1969-2044)

1969年1月20日生まれのデヴィッド・フィッシャーがエコ・パークで死去。享年75歳。

40年以上もの間、フィッシャー・アンド・サンズ葬儀社を経営。2034年に引退後、地元の劇場にて俳優として活躍、ウェイルとブレヒトの「三文オペラ」、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」、ディケンズの「クリスマス・キャロル」では主人公スクルージを演じた。 デイヴィッドの残された家族は、パートナーのラウル・マルティネス、愛息デュレルとアンソニー・チャールズ=フィッシャー、妹クレア・フィッシャーと、3人の孫たち マシュー、キース、ケイティ。故人の希望により献花代は南カリフォルニア・オペラ協会への寄付に。

ヘクター・フェデリコ・ディアス (1974-2049)

妻と一緒にプエルト・リコへのバカンス中に死去。享年75歳。

1997年葬儀科学の学位を得てサイプラス・カレッジを卒業。エンバーマーとして数年勤務、その後フィッシャー・アンド・ディアス葬儀社のパートナーとなる。2005年には、ハリウッドのデロンプレ・アヴェニューにディアス・ファミリー葬儀社を開業、引退までの35年間、当地に勤めた。

ロサンゼルスに住んでいた両親モウリシオとリリア・ディアス夫妻は他界しており、残された家族は54年間連れ添った妻ヴァネッサと、フリオとオーガストの二人の息子、そしてエミリー、セレスティナ、ヴィンセントの3人の孫たち。

告別式は2月16日(土)午前11:00よりディアス・ファミリー葬儀社にて行われる。葬儀ミサは翌日午前9:30よりアトウォーター・ヴィレッジのセント・ポール教会にて行われる。

ブレンダ・チェノウィス (1969-2051)

1969年7月19日生まれのブレンダ・チェノウィスが自宅にて死去。享年82歳。カリフォルニア州立大学 ロサンゼルス校にて社会学の修士号を、南カリフォルニア大学にて人間行動理論で博士号を取得。

ブレンダは生前、家族形成の中における、天才児の役割に関する書籍を執筆。その分野の研究においては第一人者として知られており、南カリフォルニア大学の社会学部のカリキュラムにもこれらの科目を数種類追加している。

胎児のときに(母体から)アルコールに触れた人間とその逸脱行為の関わりを証明、その研究方法を確立した。天才児だったブレンダ・チェノウィスの子供時代は、ギャレス・フェインバーグ博士の著書"Charlotte Light and Dark"に記されている。

残された家族は、娘のマヤ・フィッシャー、ウィラ・チェノウィス、フォレスト・ネイサンソン、そして夫ダニエル・ネイサンソン、弟ウィリアム・チェノウィス(マリブ在住)。 告別式は遺族のみで3月9日ディープ・クリーク自然保護区で行われる。故人の希望により、献花代はチャリティへの寄付に。

クレア・シモーン・フィッシャー (1983-2085)

2085年2月11日マンハッタンにて死去。

1983年3月13日に生まれたクレアはロサンゼルスで育ち、LACアーツ・カレッジで学ぶ。広告・ファッション・フォトグラファー、そしてフォトジャーナリストとして50年近く活動。彼女の作品はワシントン・ポスト誌、W、FACE誌などの表紙を飾った。多くの写真家がデジタルスキャンやコンピューター処理を施して作品を作る中で、彼女は銀カラー写真の手法でとり続けていた。ニューヨークやロンドンのギャラリーで数多く個展を開催。2018年よりNYUのTisch School of the Arts にて写真を教え始め、2028年には終身在職権を与えられる。 夫テッド・フェアウェルはすでに逝去している。