見ている間、笑いもスリルもたっぷり。時間はあっという間に過ぎ、毎回見終わる頃には元気になって、ぜひまた次回を見たくなる、そんな痛快ドラマが「アグリー・ベティ」だ。
まず驚かされるのは、番組タイトルの直訳が"ブスなベティ"であること。"アグリー"を"おブス"と柔らかく訳す見識もあるだろうが、直訳はやはり、"アグリー=醜い"。それが本作のヒロイン、ベティだ。これは、TVドラマの主人公は美男美女という常識にいつしか慣らされきっていた視聴者に対する、大胆不敵な挑戦状だ。しかも舞台は"醜い=ブス"が、恐らくはハンデを背負われそうな予感漂う、ファッション誌の編集部である。
「アグリー・ベティ」の見どころをあえて3つに集約するなら、(1)舞台のニューヨーク、(2)とびきりファッショナブルなムード、(3)ラテン系ドラマの意欲作、ではないか。
まず何より、ニューヨークを舞台にしたのがドラマのテーマにぴったりだ。摩天楼が建ち並び、人種のメルティング・スポット(るつぼ)と呼ばれるニューヨークだが、華やかな表の顔の裏側では、熾烈な競争が渦巻いていることは誰もが知っている。多彩な人種ゆえの激しい競争は、これまで数多くの映画・TVでも取り上げられてきた。ウォール街に代表される金融業界、ブロードウェイに代表されるエンターテインメント業界のみならず、米国のファッション業界を見渡した時、圧倒的に最先端を走り、シーン全体をリードしているのが常にニューヨークであることに異論を挟む余地はない。そんな競争社会で、ベティという優しく小さなヒロインが、どう奮闘するのか、思わず身を乗り出したくなる。
そんなニューヨークは、ファッション業界のみならず出版業界にとっても、米国の中心だ。ニューヨーク・タイムズ(新聞)のベストセラー・ランキングの世界的影響力という例を持ち出すまでもなく、"米国の神田"は間違いなくニューヨークで、そこで発行されているという雑誌「モード(MODE)」は架空の名称ながら、「ヴォーグ」(これが「モード」のモデルではないか)が生まれた町であり、「ハーパース・バザー」「コスモポリタン」「マリ・クレール」「セヴンティーン」などを発行しているハースト社や「イン・スタイル」などを発行しているタイム社もあり、またフランス生まれの雑誌「エル」も、米国版の編集部はニューヨークにある。雑誌もまた、ブランド間の競争は激烈かつ熾烈だ。
なので、必然的に「アグリー・ベティ」もおしゃれ指数はハンパでなく高く、コメディながらファッショナブルなムードがたっぷりだ。そうでなければこの作品は成立しない。おしゃれな海外ドラマというと「SEX AND THE CITY」が思い出されるが、あの傑作もまた、ニューヨークが舞台だった。「モード」の編集部がまるでSF映画の未来世界のようなのは誇張なのだろうが、作品世界にマッチしているからこそ、説得力が違和感を上回る。
感心するのは、台詞に有名ブランドなどの固有名詞が連発すること。TVドラマは影響力が大きいゆえ、台詞に固有名詞を使うことはリスクが高いが、そんな状況を潔く、かつ、さりげなく受け入れているのも、並々ならぬ意気込みを感じさせられる。
とはいえ、以上のセンセーショナルな事実を背景にとどめ、何より人間味あふれる登場人物たちを、ユーモラスかつ魅力的に弾けさせるのが「アグリー・ベティ」の真骨頂だ。
そして、一般的に、単一民族の国とされる日本の人々には理解されにくそうだが、米国社会におけるラテン系文化の台頭もまた、「アグリー・ベティ」の最大の肝だ。
現在米国において、メキシコなどラテン文化圏からの移民やその子孫はその影響力を増す一方だ。今度の大統領選においても、ヒスパニックの票の動きは大きく注目されている。
米国エンターテインメント界においてラテン系は、ニューヨークのヒスパニック社会から生まれたジェニファー・ロペス、スペイン出身の女優ペネロペ・クルスらが人気だが、02年の映画「フリーダ」でアカデミー主演女優賞にノミネートされたメキシコ出身の女優、サルマ・ハエックも重要な1人。同じラテン文化圏のコロンビアで生まれ、世界的にヒットしたTV「ベティ~愛と裏切りの秘書室」をリメイクした「アグリー・ベティ」に、みずから製作総指揮の1人に名を連ねると共に、重要な役でゲスト出演までする気合だ。ずばり言うなら、ヒスパニック=マノリティであるベティが、有名なファッション誌の編集部という華やかながら保守的な世界でどう革命を起こすかが、「アグリー・ベティ」は熱い。
"醜い"ベティだが、シーズン1のあるエピソード、もっとおしゃれになろうとしたベティが結局元の服に戻るという場面がある。あーだこーだ言っても、一番のおしゃれとは、自分に一番似合うものを見つけることに尽きるという思慮に富んだ場面だ。
インターネットやマスコミで顔を見せない者の壮言がまかり通り、反対に、上辺やブランドネームの周りで踊るしか能がない面々がセレブと呼ばれて持てはやされる、そんな現代で、ドン・キホーテ(この想像上の人物もミゲル・デ・セルバンテスというラテン系に生み出された)のように果敢に、しかしワキはたっぷり甘めに突入していくベティを、愛をもって見守る。それこそが「アグリー・ベティ」のファンに許された至上の愉しみだ。
アメリカTV・映画ライター 池田敏
【2008年2月】