シーズン2終盤の4話分をオファーされたけど、3話分しか参加できなかった。4週目の撮影がTV「ママと恋に落ちるまで」(の収録)とぶつかったんだ。撮影は楽しくてクレージーだったよ。僕にシリアスなドラマを演じる機会をくれたなんて信じられなかった。今まであまり演じてきてないし。だから、これほど長く演じることになるとか、これほど重要な役になるとは誰も思わなかった。もちろんスピンオフになるなんてこともね。だけど僕が参加してからの2シーズン目、つまり「ブレイキング・バッド」のシーズン3の時、廊下にいた僕にヴィンスがこう言ってきたんだ。“この役でスピンオフをやらないか?” 僕はこう答えた。“うーん、どうかな。” というのも、僕の最初の出演シーンから皆がそのことをジョークにしていたからさ。面白いキャラクターだからだと思う。ソウルは意外なほどのエネルギーをドラマにもたらしたし、皆彼を気に入った。ソウルは面白い男で、一緒にいるのが楽しい奴だ。でも思うに、ヴィンスはそれ以上のものをソウルに見いだした。ヴィンスは楽しいだけのドラマなんて書かないからね。彼がこのドラマを書くのは、人間そのものと人間の行動に強い好奇心を抱いているからだ。
(製作総指揮の)ヴィンス・ギリガンとピーター・グールドが「ベター・コール・ソウル」を企画したのは、非常に率直で本質的な理由からだ。つまり、彼らは知りたかったんだよ。ソウルとは何者で、過去にはどんな人間だったか。どうして名前をソウル・グッドマンに変え、派手なスーツを着るようになったのか、何をしようとしているのか…。ピーター・グールドが言ったように、ソウル・グッドマンになることで人生のどんな問題を解決できるのか?
シーズン1で僕が発見したことがある。世の中には、22歳くらいの若さで自分のことをすっかり分かっている優秀な人たちもいるよね。音楽家や医師とか。自分の得意なことが分かってて、それを世の中でどう実現すればいいか知ってる人たちだ。でも僕らのほとんどは、何年もかけて自分の才能を見つけ、やりたいこととできることの折り合いをつけ、自分のいいところはどこなのか、それをどう生かすかを知る。「ベター・コール・ソウル」で僕らが目にするのは、若き日のソウル・グッドマンであるジミー・マッギルが、自分が何者かを理解していく姿なんだ。
“85パーセントがシリアスで15パーセントがコメディ”と話した時は、まだ第1話を見る前だったんだ。今なら60/40の割合にするかな。60パーセントがシリアスだ。ヴィンスとピーターがこのキャラクターをとても真面目にとらえているからだよ。どのキャラクターについてもそうだ。彼らは適当にキャラクターを作って、状況とはつながらないけど面白いセリフを言わせるなんてことはしない。1人の人間が変わっていく、その過程をリアリティをもって描いているんだ。その点では「ブレイキング・バッド」と同じだ。変容の物語なんだよ。
でもヴィンスは面白さのためだけにキャラクターを“変化”させたりしない。キャラクターは苦しまねばならないんだ。そこにドラマチックな展開があり、面白さも存在する。ちょうど第1話を見たところなんだけど、大部分はニコニコしたり笑ったりしながら見てたよ。ソウル・グッドマンは口が災いして、厄介な状況に自分を追い込んでしまうからだ。彼は問題を解決してるつもりだけど、視聴者として見たら、“ダメだよ。君の考えは面白いが、それじゃうまくいかない。”と思う。視聴者はソウルのプランが崩れるのを見ることになる。本当に面白い。楽しいドラマだよ。だから60/40の割合だけど、正直どうかな?見る人が本作をユーモアとシリアスのどちらに定義するか分からないが、僕にとっては思っていたよりずっと笑える展開だった。シリアスな部分すら、見れば楽しいと思う。その理由の1つは、ヴィンス・ギリガンが実に自信に満ちたストーリーテラーであることだ。彼は視聴者にドラマをじっくりと見せ、集中させて、キャラクターがどんな人物かを垣間見せる。彼は自信を持ってそうするから、視聴者は引き込まれるんだ。
「ベター・コール・ソウル」では、今まで見たことがないくらいに役柄を深く掘り下げるよ。ギリギリまで行く。最近のクールなドラマはみんなそうだ。「トランスペアレント」とか、「ブレイキング・バッド」だってヤバいよ。視聴者はテレビで「ベター・コール・ソウル」みたいなドラマを見て、行ったことのない未知の領域へ行くのを楽しんでるんだ。
皆はドラマチックで暗いバージョンのボブ・オデンカークを目にすることになる。この2~3週間、85パーセントがシリアスで15パーセントがコメディと言い続けてきたんだけど、それはシーズンの撮影が終わった後、頭にこびりついていたのがシリアスでヘビーなシーンばかりだったからだよ。シーズン1にはそういうシーンがかなりある。でも完成した第1話を見て、楽しい場面も多いことを思い出したんだ。例えばジミー・マッギルは…、これがソウル・グッドマンになる前の名前だけど、ジミーは「ベター・コール・ソウル」の中で悪だくみばかりしてる。でもそういったシーンは頭から消えてしまってたんだ。ヘビーなシーンほどキツくはなかったからね。ピーター・グールドとヴィンス・ギリガンがどれほどソウルというキャラで楽しんでたかを忘れてしまってた。彼らがこのドラマを書こうと決めた理由の1つは、悪ふざけを書くのが大好きだからだと思う。ソウルのしゃべり方、決断の速さ、失敗に終わりがちだが利口で複雑な彼のプランといったものをね。彼らはソウル・グッドマンを書くのが好きなんだ。ソウルを見る楽しさをうっかり忘れてたよ。ソウルを見てると、“彼は賢いし最高だ。面白い奴だな。”と思った後で、“おっと、あれじゃ失敗する。うまくいかない。”と思ったりする。でもその時も笑顔だ。“ああ、なんだって彼の計画はうまくいかないんだ?” それから、“どうやって窮地を抜け出す?”とかね。そういった楽しい面がこのドラマにたくさんあるのを忘れてたよ。本作は人間のリアルな感情や行動に基づいているんだ。脚本を書いているヴィンス・ギリガンとピーター・グールドは気ままに書いたりしないし、物語の都合だけでキャラクターを変貌させたりしない。意味が必要なんだ。すべてが人間の行動に基づいていないといけない。ウォルター・ホワイトがしたことだって、どれもクレージーだけど、彼の人間性を知れば納得がいく。彼にはクレージーな性質があった。尊大な男なんだよ。
「ベター・コール・ソウル」は、意識して「ブレイキング・バッド」に似せようとはしていないと思う。もちろん引き継がれている物事はあるよ。ピーター・グールドとヴィンス・ギリガンから自然と生まれるものは受け継がれる。彼らの語るストーリーだ。ヴィンスはクリフハンガーの場面や、緊張の瞬間を書くのがうまい。彼はキャラクターを苦しめて変貌させる。キャラクターを窮地に追い込み、選択を強いるんだ。「ベター・コール・ソウル」でもそれをやってる。「ブレイキング・バッド」で見られたような、緊迫する大胆不敵なストーリーテリングだよ。「ブレイキング・バッド」のキャラクターたち、例えばマイクは登場するけど、他のキャラクターについてはまだ言えない。それでも意識して続きを作っている感じはしない。純粋に“皆で新たな物語を展開しよう”、“この新たな場所に誠実に向き合おう”って感じだった。
「ベター・コール・ソウル」のシーズン1にウォルターとジェシーは出てこないよ。その先は何とも言えない。僕も知らないからね。でも彼らも同じ町にいるんだし、あり得るんじゃないかな。登場しても不思議じゃない。
彼が善人ってところだ。本当に熱心で、いい奴なんだ。
もちろん。あのマッチが手元にあればね。
さほど違わない。それが答えだ。「ベター・コール・ソウル」の物語で描かれていくのは、なぜマイクがマイクかってことに他ならない。だがやりすぎないように願ってるよ。マイクで気に入っているのは、あまり素性が明らかにならず、謎がそのまま残っているところだからね。ヒントだけで、はっきりは分からない。謎はいいものだよ。
話していいのかどうか分からない。だが失望することはないだろう。
ストーリーに関わることだから教えられないな。話せないよ。マイクは自分が魂を失ったことを分かってる。非常につらく厳しい日々を生きてきたんだ。
同じに演じるかって?物語の時間的にはそれほどさかのぼるわけじゃない。「ベター・コール・ソウル」初回に登場するマイクは、皆が見たことのあるマイクとほぼ同じマイクだ。それ以前に彼に起きたことや、彼がくぐりぬけてきた苦しみや暴力については、皆もいずれ目にすることになる。
何よりまず撮影場所として最高だ。私は根っからのロサンゼルス好きだが、いい時代はもう過ぎた。思い返せば、1988年の脚本家組合のストライキで、ビジネスは全部投げ出され、仕事がカナダへ行った。今ではどうだ、映画を作ろうと思ったら、アトランタやロス、NY、バンクーバー、どこででも作れる。デトロイトでもだ。そして、これは少なくとも100回は言ってることだが、ニューメキシコ州アルバカーキのスタッフの忠誠心は他に並ぶものがない。彼らは友人だ。私の友人だよ。ニューヨーク・タイムズ紙の日曜版の書評で読んだんだが、批評家はこんなことを言ってた。“ハリウッドでは誰もが、いかにスタッフや共演者が素晴らしいかとほめそやし、悪い話は聞かない、どういうことか分かるだろう?”とね。私は抗議の手紙を送りつけそうになったよ。“そう言うが、47年の俳優人生の経験で、時おり本当にそういうことがある。現場に行くことが喜びで、スタッフや共演者と共にいることが楽しい、そんなことがあるんだ。”と伝えたかった。私は俳優を長くやっている。悪い状況も何度か見てきた。だがこの作品での経験はいい経験だ。素晴らしい経験だよ。私はラッキーな男だ。
いいや。思うに、熱意を失っていないことが大きいんだ。仕事を共にする相手がすっかり情熱を失い、あらゆるものに文句を言っていて、それでも非常に才能のある人間の場合もある。だが考えてみてくれ、そんな現場に行くのは疲れる。自分の周りを常に不満がとりまいているんだ。実は私の息子が最近、プロダクション・アシスタントとしてこの業界で働き始めた。ランチについて、息子に言ったんだ。“ケータリングを軽んじるようなことを決して言うな。絶対だ。” こうも言った。“この世にどれだけ、ランチを出してくれるところがあると思う?単にランチを出すだけじゃない、バラエティに富んだ食べ物とデザートだ。その上、日中にはスナックまで出してくれる。” さらに続けた。“どれだけの人がそんな環境で働けると思う?” 私は本気で言ってるんだ。誰かが不満を言おうものなら、私の気に障る。実に気に障るね。不満は聞きたくない。今のが具体的な例だ。
一方で、いい仕事をしようとやる気に溢れた人たちに囲まれることもある。ピーターとヴィンスに他の脚本家たち、トーマス・シュノーズ、モイラやジェニー、どの人の名前も忘れずに挙げたいね。彼らは非常に熱心に仕事をする。使われすぎた表現かもしれないが構わない。このテレビと創造力の黄金期において、彼ら脚本家はマイクを愛してくれている。役柄に愛情を込めて書いてくれているんだ。私もこの役柄を愛している。アルバカーキに戻ってくれば、彼らには情熱がある。それを超えるものすらあると思う。すべてがきちんとした場所に収まる瞬間だった。素晴らしい一日を過ごせ、それが素晴らしい数年間につながった。過去には一度もなかったことだ。そんな経験は初めてだったよ。質問の答えになっているか分からないが、これが私の答えだ。
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