ロサンゼルス市警察の警部だが、ヨレヨレのレインコートを着て安葉巻をふかしながら「うちのカミサンがねえ…」などと事件には関係の無さそうな世間話をする姿は、とてもキレものの刑事には見えない。しかし実は鋭い観察眼の持ち主で、他の刑事たちは簡単に見逃してしまいそうな些細な事に着目して推理の突破口を見いだしたり、犯人の立てた緻密な殺人計画の矛盾を執拗に追及するタフな猟犬なみの忍耐力で、エリート意識の強い犯人を追い詰めていく手腕は見事。一方、刑事のくせに銃を撃つのは嫌いとみられ、携行することすら滅多に無いようである。ニューヨーク出身のイタリア系でその例外に漏れず大家族の出身ゆえ、「うちのカミサン」こと妻だけでなく兄弟や甥、姪などもよく会話に登場する。愛車は1959年式のプジョー403コンバーチブル。レアな車だと自慢するがしょっちゅう故障するのが困りものである。
1927年9月16日、米ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。3歳の時、右目に網膜芽細胞腫が見つかり、眼球を全摘出。後にトレードマークになる斜視は右目にはめた義眼ゆえである。高校卒業後、米軍入隊を希望するが片目が義眼であるということで果たせず、代わりに米国商船隊で1年半、料理係として働く。その後は公務員を目指して大学院まで卒業するが、就職を希望していたCIAには入れずコネチカット州の主計局に就職。終業後に趣味で通っていた演技クラスの教師に薦められて俳優を目指し、1956年舞台俳優としてブロードウェイ・デビューを果たす。その翌年からはTVドラマに、翌々年からは映画にそれぞれ出演を始め、1960年の『殺人会社』と1961年の『ポケット一杯の幸福』では2年連続でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされる。1968年、「殺人処方箋」を皮切りにしたTVドラマシリーズ「刑事コロンボ」で大ブレイク。世界中に知られる人気俳優となり、コロンボ役ではエミー賞主演男優賞を4回受賞。その後も長年に渡って映画界とTV界で活躍を続けるが、2011年6月23日、肺炎とアルツハイマー型認知症によって引き起こされた心停止により逝去。享年83。
声/小池朝雄(#1-44)、石田太郎(#45-68)、銀河万丈(#69)