いよいよシーズン1も大詰め、最終話まであと1回というところまできました。この連載も一区切りということで、今回は「バトルスター・ギャラクティカ」という作品のおもしろさの根本には何があるのか、SFテレビ史における位置づけ、といったことを考えて、とりあえずのまとめとしてみたいと思います。ネタバレには気をつけますが、シーズン1を最終話まで見てから読んでもらったほうがよいかもしれません。
というわけで、人類がおかれた状況も、各キャラクター間の人間関係も、一気に流動化するすさまじいシーズン・フィナーレでしたが、いかがでしたか? あまりといえばあまりな展開に茫然としてしまったのは私だけじゃないと思いますが、じつは、これはまだまだ序の口。シーズン2以降、驚愕の展開はますます加速し、もうちょっとやそっとじゃ驚かないぞと思っていても、さらにその上をいく驚きが待ちかまえているという、見る者の心臓の強さを試すような大変な物語になっていきます。
シーズン1はたった13話であっという間に終わってしまい、もっと見たいと思わずにはいられないわけですが、シーズン2以降は各20話ずつに拡大されます。アメリカ本国では、シーズン3終了後、昨年11月に番外長篇「Battlestar Galactica: Razor」が放送され、「ザ・ファイナル・シーズン」と銘打たれたシーズン4が、この4月からちょうど始まりました。遅くとも来年前半には完結するのではないかと言われているようです。
21世紀に入ってからの米国テレビシリーズの特長や傾向を考えてみると、まず「24」や「LOST」に代表される、見る者に考える時間を与えない、娯楽に徹した「ノンストップ・エンタテインメント」の流行というものがあります。見る人を驚かせ、次の回を見ずにはいられなくさせるためには何でもする、そのための工夫にはアイデアを惜しまない、というやり方は、あざといと言われることもありますが、基本的にはサービス精神、エンタテインメント根性の現れでしょう。
このノンストップ派の代表格として盛名を築いたのがプロデューサーのJ・J・エイブラムズですが、彼が「エイリアス」で毎回クリフハンガー(絶体絶命の場面で次回に続く形式)で終わるコロンブスの卵的な構成を発明したり、「24」の放送がスタートしたりした2001年の秋ぐらいが、この流行の発火点と言えそうです。
一方で同じ2001年秋には、9/11同時多発テロが勃発。その混乱、悲しみ、怒り、内省はやがて、テレビ界にも新しい傾向を生み出します。もともと、同時代の社会情勢を作中にとりいれて風刺したり考えさせたりするのは「ミステリーゾーン」の昔からSFドラマのお家芸で、とりわけ「新スタートレック」以降の宇宙SFは、この傾向をどんどん洗練させてきていたという事情もあります。
そんなわけで、このところ目に付くのは、9/11同時多発テロ、アフガニスタン派兵、イラク戦争、ハリケーン・カトリーナ被災といった、同時代のアメリカが現実に直面している事件の影響を感じさせる作品。「HEROES/ヒーローズ」も「ジェリコ 閉ざされた街」もそうだし、「ミディアム 霊能者アリソン・デュボア」「ゴースト 天国からのささやき」などの"スピリチュアル系"作品の流行もこれと無関係ではないでしょう。
突然の攻撃により自分たちの生活が根本から破壊されたら......という設定からスタートした「バトルスター・ギャラクティカ」が、9/11同時多発テロを発想の起点(のひとつ)にしていることは間違いありません。それにこれは、イラク戦争と同時並行で製作・放送されてきた"戦時下の"SFテレビドラマでもあります。まさに同時代派の急先鋒といえるわけですが、それと同時に、ノンストップ派の時代にもちゃんと対応しているのがすごいところなのです。
今どきのテレビシリーズらしい驚愕の展開の連続で、エンタテインメントとしての技巧の限りを尽くし、見る者を絶対に飽きさせずに、先へ先へと突っ走っていく姿勢には、「24」や「LOST」と同じ、過剰なまでのサービス精神が感じられます。同時代の社会性とノンストップの娯楽性という両輪が、ふたつ揃って高速回転しているところが、「バトルスター・ギャラクティカ」という作品を希有のものにしているのではないでしょうか。
SFテレビ史のなかの「バトルスター・ギャラクティカ」は、政治と外交が大きなテーマになっているという点では、90年代の「スタートレック/ディープスペース・ナイン(DS9)」や「バビロン5」の影響を強く感じさせます。シーズン4を最終シーズンと決めて、きちんと完結をめざすやり方も「バビロン5」を思わせます。
一方で、落ち着いて考えてみると「バトルスター・ギャラクティカ」のストーリー展開は、これまでのどのパターンにもあてはまりません。しばしば西部劇に例えられる宇宙SFですが、これは「宇宙大作戦/スタートレック」や「新スタートレック」のような探検・開拓型ではないし、旧作「宇宙空母ギャラクティカ」のようなキャトルドライブ型とも違います。
また、ひとつの場所を舞台にした「DS9」や「バビロン5」のようなグランド・ホテル形式の群像劇でもないし、「スタートレック/ヴォイジャー」のような、故郷への帰還をめざすオデュッセイア型の物語でもありません。
予想もしなかったことが次々と起き、ひとつの定型に安住しない、そんな「バトルスター・ギャラクティカ」の新しさとはつまり、物語の徹底的な「不定形性」にあるのではないか、というのが私のとりあえずの結論です。
SFテレビの歴史を呑み込みながら、「新スタートレック」から始まった現代SFテレビシリーズの、ひとつの究極のかたちへ到達しようとしている。私はそう思います。
【2008年4月】
添野知生