エディはアフリカのケニア生まれ。まだ赤ちゃんの頃に米サンフランシスコに両親と共に移住した。
現在の活躍からは想像もできないが、移住当時は英語に苦労したと、米オンラインメディアのインタビューで明かしている。
「スワヒリ語がケニアの公用語なのだけど、僕はカレンジン民族の出身で、キクユ語が僕の母国語になる。それでも最初に覚えたのはスワヒリ語だった。米国に来たとたん、忘れちゃったけれどね。来たばかりの頃はカルチャーショックを受けたよ。保育園から、泣きながら家に帰ってきたものさ。両親に(アフリカ系米国人の)子供たちは僕と似てるけど、しゃべり方が違うって泣きじゃくったんだ。それから二週間は口をきかなかったのを覚えてる」
保育園に入る前にすでに英語を覚えてはいたが、ケニア訛りが強かったのだとか。カリフォルニア生まれの子供たちの英語に違和感を感じたのも無理はない。
「それで先生たちは僕に学習障害があると思ったんだ。僕の両親は大丈夫だと主張したけれど、先生たちも困ったらしい。僕がやっと口を開いた時には、ケニア訛りは無くなってた。その間、僕は一生懸命頑張ったんだ。人生における最高の演技ができた瞬間だったね」
今となっては笑い話。しかし、この二週間の幼き頑張りが俳優エディ・ガテギを誕生させたとも考えられる。
そして俳優として安定した現在、エディは短編映画の監督やプロデュースを手掛け始めている。
「僕にとって、すごくエキサイティングな仕事だよ。飽きたりなんて絶対ないね。毎日がチャレンジの連続だけど、いつの日か世界中に素晴らしい作品を届けることができればと思っている」
ケニアからやって来た、かつての少年。幼くして、努力すれば道は開けると知ったから、涙なんて要らない。アメリカン・ドリームはもうつかんだ、そしてエディの瞳はその先、世界を見つめている。
<「lasentinel.net」 2017年9月7日>