今思いつくのは、一番最後の、屋上でのジェシー(アーロン・ポール)とのシーンだね。「男の子は大丈夫、命を取り留めた」と言うシーン。(男の子が危険な状態に陥る原因となった)その物質はリシンなんかではなく、「谷のユリ(Lily of the Valley)」という普通の植物だった。気が利いた展開でした。私の演じたウォルターは最初からそれを知っていた。なにせ、男の子に毒を盛った張本人でしたから。あの役を出来たのは楽しかった。そしてスカイラーと電話をする。彼女は、「あなたが彼を殺したのか、何がどうなっているのか、何が起こっているのか」と聞き、そして私は答えるんだ。「全て終わった、もう大丈夫。私の勝ちだ」。
ある程度はもちろん分かってる。恐らく無意識なものかな。意識の中では、彼は単に生き延びようとしているだけ。私が彼を演じる時もそのことだけに注意するようにしている。次に何をしたらいいのか、窮地に陥らないためにはどうしたらいいのか。常にその不安に付きまとわれている故に、彼は前に突き進むんだ。
おかげで安眠をすることも、冷静にもなれなくなるが、ただ、もし彼にゆっくりするだけの時間と、話の中での一年間を振り返る余裕とがあったとしたら、間違いなく彼は、今までのことを全てやり直したいと言うだろうね。同時に、彼自身新たなウォルター・ホワイトの一面を知って嬉しくもあるはずだ。自分をコントロールし、何物をも恐れない、男になる。それは男性にとっては媚薬のようなもの。権力、金、そういったものだよ。
ジェシーとの関係は、シーズンを通して少しずつ変わってきている。距離が近づいたと思えば離れ、近づきそしてまた離れ…。まったくアコーディオンのよう。ウォルターはジェシーのことを、どこか父親のような気持ちで見ている。けれども彼はそれを自分で認めたくないんだ…。ジェシー・ピンクマンはろくでもない人間だからね!ジェシーはドラッグ常用者で売人でもあり、ハイスクールも出ていない。ズボンを尻までずり下ろしたようなだらしない格好をしているし、聴く音楽は最悪、教育もろくに受けていない。ウォルターが彼と繋がりを持ちたいと思う要素は一つもない。それでも、彼には何かがある…。忠誠心という言葉が頭に浮かぶね。共に多くを経験し、共に生き残るのを助け合ってもきた。ジェシーを何としても生き残らせようとするウォルターがジェシーに惹かれる大きな要素だと思う。でも私は彼を利用もしますがね、シーズン4で明らかなように。
ブレイキング・バッドのシーズン4は、ストーリーの展開として一番盛り上がりのあるシーズンだった。シリーズの最初の頃は、常に期待が高かったわけでもないので、ユーモアを取り入れる余地などもあったし、視聴者である私たちも、ウォルター・ホワイトがどれほど深い人物なのか、どうやって回りの人間を巻き添えにしていくのかをまだ知らなかった。しかしシーズン4ともなると状況は遥かに深刻になり、彼は自分自身だけでなく家族をも危険に巻き込んでいく。そして彼の義理の兄弟、ディーン・ノリスが演じるDEAのエージェントのハンクが回りを調べ始めてもいて・・・。私(ウォルター)と彼(ハンク)が直接向かい合わないままで話が終わるとはとても思えないね。私自身、この話がどんな結末を迎えるのか非常に楽しみだよ。
ヴィンス・ギリガンは、例えて言うなら羊の群れの中にいるキツネといった感じかな。彼はとても優しく、自然体で穏やかな人。眼鏡をかけていてヘアカットも平凡、バージニア出身でとても穏やかなんだけど、でも彼には口は出さない方がいい。そういった人は簡単に人の言いなりになると思われがちですが、そんなことはない。彼は自分の番組と登場人物のためなら、突っ込んで、戦うことも厭わない。番組の製作者として、完成された人物と言っても良い。キャスト、ライター(脚本家)、そしてチームの皆に気を配っている。彼といると、一緒に働きたいと思わせる素晴らしい人物。正直な人間で、ふざけたりからかったりも出来る優れたライターでもある。なので、そういった人物は守っていかねばいけない。シーズン中に、他のプロデューサーと一緒に彼の様子をよく聞きに行くのはそのためです。彼がどんな調子か聞くんだ。ちゃんと眠れているか、リラックスできているか。冗談ではなく、非常に重要なことなんだよ。シーズン中は四六時中番組のことばかり考えているのでかなり疲れるもの。話を書き、キャスティングを決め、プロデュースし、編集し、音楽と編曲を決め、そうしたと思ったらまた次のエピソードがやってくる。絶え間なく消耗させられかねない。なので、彼をあたかも女王蜂のように守ってあげることが大切になるんだ。よく栄養を取り、よく育っていることを確認し、守るんだ。だってもし彼が倒れたら、大変なことになるからね。
混乱、そして危険がやってくることは知っている。しかしそれ以外のことを私はヴィンス・ギリガンに聞かないことにしいるよ。彼も私には何も言わない。台本は撮影が始まる1週間前に読み始める。一つずつ、ね。
このドラマは、次に何が起こるかをあまり予測できない。これが映画ならば、最初、中間、最後の展開を知った上で演技を合わせていくことも求められる。が、「ブレイキング・バッド」は視聴者が驚くような急展開がずっと続いていくストーリーだ。予想することはあまり意味がない。例えばあなたが車を運転している時、6、7マイル先に幾つかの分岐点があるとする。しかし今それを聞いてもあまり助けにはならない。それは幾つか先のブロックに行ってから、もしくは数百フィート先で聞けばいいこと。頭を混乱させるだけなので、意味がないんだ。
一番好きなセリフは、ウォルター・ホワイトという人物をよく表す言葉。「危険なのはこの私だ」
「ブレイキング・バッド」が沢山の人から共感を受けたのは、それが“正直”だからだと思う。人はこのドラマを見て、それが実際に起こりうる話だと感じるんだろうね。なのでのめり込む。また、最初はウォルター・ホワイトの境遇に共感する人も多いんだろうね。彼の息子は特別な治療が必要な病気を患っているけど治療費はとても一教師の給料で賄えるものではない。他の仕事が必要だ。それは屈辱的とも言えるもの。特にアメリカの医療システムは最悪で、何の助けにもならないからね。彼自身、この癌に蝕まれていき最後には死ぬことを知っている。妻に下の世話をしてもらい、よだれを拭ってもらわなければならなくなる。そして保険を全て使い果たした挙句、一文無しになる。そんな結末にだけはなりたくないと思っているんだ。それで彼は決断をする。その道を選び、そこに染まっていく。彼自身が選んだ道を、彼は進んで行かねばならないんだ。
何かしらはやるけど、テレビのシリーズものに関してはしばらく休みたいね。他にやってみたいこともあるし、話を書いたり舞台の演出もしてみたい。舞台に戻りたいので、テレビからは少し離れるつもり。こういった番組に出演するのは、それに関連した活動の渦に巻き込まれるようなもの。凄く楽しいよ、ジェットコースターに乗る気分だ。「マルコム in the middle」の時も出演者の子供たちに言ったことですが、こういった時というのは稀にしか来ないのだから大切にすべき。その時を楽しみ、あまり先のことを考えすぎない。同じ事を、この番組では一番若い連中で、私の息子であるRJミッテとアーロン・ポールに言っているんだ。こんな時期は稀にしか経験ができないのだから、楽しみ、大切にし、抱きしめなさいと。私自身、自分の言葉に従ってあまり先のことを考えないことにしている。そしてこの、「ブレイキング・バッド」が与えてくれた時間をただ楽しむ…。素晴らしい経験だよ。
ウォルターとジェシーの関係は100%家族の関係だと思う。本物の関係、とも言える。ジェシーはウォルターを父親のように見ている。彼の本当の父親はとっくの昔に彼を諦めてるし、家族全員も諦めてる。彼はウォルターから沢山のことを学ぶ。ウォルターとジェシーは愛情と憎しみが混ざった関係で、そこにまた不満も溜まっていくんだけど、実際は愛情のある関係だ。常にぶつかって喧嘩ばかりしていてもたくさんの愛情が彼らの間には存在していると思う。
ジェシーを演じるのはジェットコースターに乗るようなもので、強い感情のアップダウンを表わさなければならない。上手く言えないけど…。例えば目が覚めて横を見るとガールフレンドが死んでいた、なんていうのはかなり難しかった。ウォルターとジェシーの喧嘩は沢山あったけど、特にシーズン4の喧嘩は凄かった。とても大変な撮影だったけど、ブライアンにとっては特に大変だったと思う。彼は僕よりよほど年も取っていて力も弱いからね。いや、正直僕ら双方にとって物凄くきついものだった。最初の数テイクは楽しかったんだけど、その後は傷だらけでもうボロボロ。その日はそのシーンの撮影しかしなかったよ。
ある時は、トゥコ役のレイモンド・クルスに脳震とうを食らったことまである。彼にドアから投げ出された時にドアの角が頭に当たって、ドア自体もバラバラになったんだけど、そこから投げ出されて転がって、少し気を失った。そんなことがよくあったんだよね…。でも楽しい撮影だったよ。
彼がひと時も息をつけないというところだな。なんだか可愛く思えるほど。ジェシーはとにかく悲惨な状態で、常に問題を抱えてる。少しでも希望の光が見えたかと思えば、それもすぐに取り去られる。それでも各シーズンを通して、彼はようやく何をするべきかが分かるようになっていくんだ。ジェシーのそうやって少しずつ成長していく姿が大好きだね。
話を書いている人たちが何も恐れなかったから、かな。話が盛り上げるにつれ、もっと遠く、もっと陰鬱に、もっと深くドラッグの世界に入りこんでいく。登場人物も話も常に変化していく。一つの方向に進んでいると思えばいきなり逆の方向に向かっていく。作り手は勇気がある、恐がらない人なんだなと思う。それがこの番組を特別にしているんだ。なぜならそれは常に変化していくから。ストーリー自体も素晴らしいしね!だから凄いんだと思う…。いや、実際に凄いんだ。
ドラマの最初の方では、ジェシーはかなり大きめの服を着ていた。虚勢を張っていたんだよ。それが(シリーズの後半では)ようやく本当の自分を見つけだし、それを受け止めることが出来るようになる。いわば我に返った彼は、その事実を大切にして一日ずつ取り組んでいくんだ。
今までよりもっと大きく、もっとダークでもっとクレイジーな感じになるはず。シーズン1、2、3と続いてきた流れを踏襲して話を常に盛り上げていく、今回もそうなるはずだよ。これは僕らのシーズン5、そして最後シーズンだからね。凄いものになるはずさ。
撮影現場のニューメキシコに行ってその雰囲気の中にいるだけでわくわくする。セットの中に入るだけで興奮するんだ。しばらくぶりだからね。
ジェシーにどうなって欲しいかという個人的な期待は確かにあるよ。とりあえず、最後まで生き延びて欲しい。もしそうでないとしても、最後まで戦って欲しいな。さっきも言ったように、彼には格好良く、誇りを持って最後まで行って欲しい。でも彼らは本当に何をするか分からないから、いつ死んでもおかしくない。もうちょっとだけ、もがき続けて欲しいと思ってる。そのうち分かるよ。
ジェシーは複雑な若者なんだ。最初に出てきたころはまだ黒と白だけだったかも知れないけど、シリーズが進むにつれて、その間にたくさんの違う濃度のグレーが存在することが明らかになる。彼は、愛すべき奴だと思う。かなり滅茶苦茶な性格なのは確かだけど、応援したくなる気のいいドラッグ常用者みたいな感じ。彼は子供が好きという非常にソフトな面があって、それは僕も同じ。姪っ子や甥っ子と遊ぶのは好きだしね。ただ彼には特別な何かがある。単に未熟ってだけかも知れないけど。とにかくジェシーの色々な面を演じるのは楽しい。苦悩する彼を演じるのも、何かを学ぼうとしている馬鹿なガキの彼を演じるのも全部楽しいね。
彼は素晴らしい人。それに凄く頭がいい。彼は子供が大人の体に入ったような人で、それに綺麗な目をしているんだ。でも僕にとっては師とも言える人で、沢山のことを学んだよ。ブライアンと仕事をして、本当に人生が変わったと思ってる。これが最後のシーズンになると思うととても悲しいけど、正直ホッとしているところもある。ライター(脚本家)の人たちのこの最終シーズンにかける意気込みも大きいので、手抜きもまずあり得ないよ。
「ブレイキング・バッド」の後、とりあえず番組が終わったことで毎日泣いて暮らすとは思うけど(笑)、あとは分からない。仕事があるといいけど。何か純粋に面白いものと出会えたり、僕を雇ってくれる人がいればいいんだけどね・・・。まだ分からないよ。
ブライアン・クランストン:君はきちんとした格好しすぎだな、僕はこの通りカジュアルだぞ。
アーロン・ポール:きちんとした格好をしてこいと言われたんですよ。
ブライアン:本当か?
アーロン:ええ。言われなかったんですか?
ブライアン:言われなかった。
アーロン:ふうん。
ブライアン:そうだな。
アーロン:どう感じています?
ブライアン:実は、撮影監督であるマイケル・スロヴィスから、とても素敵な小さなプレゼントをいただいたんだ。そこには、ドクター・スースの言葉を記した小さなカードが入ってあって。
アーロン:はい。
ブライアン:「それが終わったことで泣くのではなく、それが起こったことを喜びなさい」とあったんだ。
アーロン:ああ。
ブライアン:素晴らしくないか?
アーロン:そうですね。
ブライアン:私も同感だ。
アーロン:あのカードには泣きましたよ。
ブライアン:いや、カードを読んだんなら泣くべきじゃないだろう。
アーロン:そうなんですけど、喜びながら目が潤んでいたって言うか。
ブライアン:日の光が差した感じだよ、雨が降ったばかりでまだ雲が見えるが虹も見える。
アーロン:綺麗な虹ですよね。
ブライアン:とても爽やかな虹だ。
アーロン:はい。
ブライアン:でもそんな感じなんだ、とても良い気分だ。私はそんなに悲しくないんだ。なぜなら素晴らしいことを経験したんだから。そしてそれに没頭した。それを、例えば他の何かをやるための踏み台としたのではなくてね。
アーロン:そのとおりですね。
ブライアン:ロサンゼルスから離れた場所(ニューメキシコ州アルバカーキ)が撮影現場だったというのも大きいと思う。
アーロン:そうですね。
ブライアン:グループとして(アルバカーキの)撮影現場に行き、経験を共有した。
アーロン:ここで撮影できたのは幸運でした。
ブライアン:本当にそうだ。
アーロン:集中できましたし…。
ブライアン:そうだな。
アーロン:僕と共演した感想は?
ブライアン:この部分はカットできるんだよね?そうだな…。一つ、最初の頃に持った印象があったんだが、確かシーズン1だったかな。砂漠での撮影で、本当に暑い日だった。皆汗だくで、砂混じりの風が顔に吹きつけているような場所だったが、ランチタイムになった。トレイラーに向かっている途中で君は言ったんだ、「すげぇ楽しいですね」って。こいつは気に入った、とその時思ったよ。この先もそういった見方を常に持っていれば。仕事に対してそう思える、そして自分がいかに幸運かを噛み締めることができる。君と共演できて良かった。
アーロン:僕にとってもそうですよ。
ブライアン:私にとっては息子のようだ。おい、そこは、いえ弟ですよって言うところだろ(笑)。
アーロン:アハハ…はい、弟ですよ。
ブライアン:もう遅い!
アーロン:ハハハ。
ブライアン:君のこと、好きだぞ。
アーロン:僕もです。
ブライアン:会えなくなると寂しくなるな。
アーロン:まだ終わってませんよ!
ブライアン:もう終わりだよ。
アーロン:知ってます…畜生。
ブライアン:ストーリーを伝えるという意味では(役者も監督も)同じなんだ。それが役者であっても、それとは違う視点から見る作家や監督であってもストーリーをどう伝えるか、ということが一番大切なんだ。基本的に人は、自分の持つ考えや主観で物を見る。つまり、自分が何をしたいのかはっきり分かっているかどうかなんだ。それでいて自分の考えに固執せず、新しいアイデアにも合わせていけるかどうか。それらは評価されてしかるべきものだからね。そこには、そうだね…。君は監督をやろうと思ったことがあるか?
アーロン:考えたことは確かにありますけど、すぐにやろうとは思っていません。まだまだ経験が足りません、やりたい気持ちは確かにあるんですが。
ブライアン:監督は難しいよ。例えば役者なら、自分の役に必要なことだけを考えていればいい。今どう感じているか、今何が起こって、誰が自分の前に立ちはだかっているのか。それに自分がどう立ち向かっていくのか。そう、全て自分のことだけだ。しかし役者がその感覚をそのまま実生活に当てはめてしまうと問題が起こる。全て自分中心の見方だからね。しかし監督がそれをやってしまっては仕事にならない。全ての役者のことを考え、かつそれぞれの人間がいつ何をしたいのかを考えなくてはならない。指揮者のようだとも言える。良い音なんだが、もう少しゆっくり、もう少しソフトに、ここは君が前に出てきて…。そんなふうにして物事を操作するんだ。
アーロン:(あなたは)役者とのコミュニケーションが上手ですよね。自分の役者としてのキャリアが役に立っているんでしょうね。
ブライアン:私は人と上手に話せると思っているよ。
アーロン:はは…。でも中には役者に凄く厳しい監督もいますよね。役者に間違っているとは言いませんが、それが伝わるように…。
ブライアン:私は君が間違っていると言ったことはないだろう?
アーロン:ありません。
ブライアン:いや間違っているかどうかは知らないが。
アーロン:はは、そうですね。
ブライアン:そう言ったことはないぞ。
アーロン:確かに。
ブライアン:ならいいんだ。
アーロン:監督としての初日に何を着て行ったか話さないんですか(笑)。(インタビュアーに向かって)彼は本当に頭良いですよね。
ブライアン:有名なドイツ人の監督で、エリッヒ・フォン・シュトロハイムという人がいるんだが、彼は乗馬ズボンとブーツ、それにベレー帽と乗馬用ムチに単眼鏡といったいでたちでみんなを怒鳴りつけるんだ、「俺の言ったとおりにしろ!」ってね。
アーロン:ははは。
ブライアン:楽しい経験だった。寂しくなるな。とても良い経験をさせてもらったよ。
ブライアン:62エピソード?
アーロン:はい。
ブライアン:もっと話が続いても良かったと思うか?それともちょうど良い長さだったと思うか?
アーロン:いや、最終回を読むと、最後まで暴力的とも言える感じで突っ走るじゃないですか。
ブライアン:面白い表現をするね。
アーロン:これで、完璧だと思います。
ブライアン:そうだな。
アーロン:まぁ何かしらは…いえ、最終回を読むと、やっぱりちょうど良い終わり方だと思います。
ブライアン:そうだな。
アーロン:本当に。
ブライアン:シーズン5は、それぞれ8話構成の部が2つに分かれている16話で成っているだろう。
アーロン:はい。
ブライアン:なので16話すべての流れが掴みやすい。ただ一つ一つを別に見ていくと、時々早く話をまとめて次に進まなければならないように感じる時もある。沢山の箱を用意してそこに物を詰め始めたのはいいものの、途中で箱が足りない、もしくは多すぎたと感じるような。ヴィンスと他のライターたちは、果たして最期の8話に差し掛かるという時になるべく多くの話をそこに詰め込まなければいけないように感じたか、それとも、内容が足りないので少し引っ張らなければと感じたか・・・。ライターの一人で、最終回の一つ前の話を担当した人でもあるピーター・グールドが言っていたんだが奇跡的とも言えるほど、ぴたりとそこに辿り着いたそうだ。もっと書きたい話があったとか、余計な話があったとかではなかったんだ。本当に常に驚かされるよ、もうかれこれ6年間一緒に仕事をして話を見てきているのに。読むたびに驚きがあるんだからね。
アーロン:脚本がね!
ブライアン:良かったな。これからは君にとっては楽になるんじゃないか。
アーロン:そんなことないですよ。いや、確かに「ブレイキング・バッド」をやったことでこれからの仕事はやりやすくなったと思いますけど。でもそれって、悪いことですか?
ブライアン:別に。それほど必死にならなくても良くなったってことだろうし。
アーロン:そうですよね、確かに楽になります。流れに乗ればいいって言うか。楽になるのはやっぱいいですね。
ブライアン:一番好きなシーンはあるかい?
アーロン:僕ら2人のシーンの中でですか?
ブライアン:そうだ。
アーロン:そりゃあありますよ、沢山あるけど…。
アーロン:シリーズを通して、一番好きだったシーンはどれかって聞かれたこともあるんですけど、
ブライアン:ほお。
アーロン:それは…。
ブライアン:記念碑だな。
アーロン:まだ答えてないんですよね、決めかねている。
アーロン:でもあのシーンが好きです、凄く長かった、シーズン3第10話「かなわぬ最期」のエピソードです。
ブライアン:へぇ。
アーロン:あなたは、自分はもうこの時には死んでいるものだと思っていた、って言っていて、コーヒーを飲んでいるんですけど、そこに僕がこっそり睡眠薬を入れるんです。
ブライアン:なんだって?
アーロン:覚えていますか?
ブライアン:だからか、私が朝ここに来て飲むコーヒーに入れたんだろう。
アーロン:ハハハ…。
ブライアン:どうりで眠いと思ったわけだ。
アーロン:本当にあのシーン好きなんですよ、沢山のことが含まれていて。その前に、叔母さんの家にネズミかなんかが出てそれを駆除しようとしてるってのをジェシーが喋るんですけど。彼女は余命があまりない状態で、少し頭がおかしくなっていく。
ブライアン:興味深いことに、あれは予算を安くあげようとしたエピソードだった。予算を安く済ませようとしていたので、ほとんど二人芝居のような感じに仕上がった。あれは楽しかったね、ほとんど私たちとあれを監督したライアン・ジョンソンだけでやったようなものだ。
アーロン:凄いですよね。そのエピソードと、あとシーズン2 第9話「荒野の四日間」ですね。
ブライアン:「荒野の四日間」も非常に面白かった、私にとっても一番好きなエピソードの一つです。(ウォルターとジェシーが)どうにもならなくなり、口論しケンカするんだが、ようやく共に協力していかねばならないことに気付く。あの時から、二人の関係は%E
ブライアン:このことについては君は少し感傷的になっているのは知っているよ
アーロン:セットに入る時に、いつも落ち着いていないからですか?
ブライアン:いや、君がまだ最後のシーンではないのにここにいるということだよ。今の時点で、まだ一週間半ほど撮影は残っているだろう?
アーロン:うわ…。
ブライアン:いよいよ最後ってところだ。ただ面白いのは、私たち役者が共にこの経験に立会い、それを共有し楽しみながら終わりが近いというのを感じているだけでなく、私たちが演じている人物自体もこのストーリーの終わりが近いことを感じているということだ。二重にこたえるね。そうは思わないか?
アーロン:その通りです。どこをとってもきついですよ、まったく…。
ブライアン:しかし君はそこから思考的に、感情的に影響を受けているかい?明晰に考えることが出来ているか?それとも思いがさまよいがちとか物理的にあまり眠れないとか、何か…。
アーロン:まぁ、良い日悪い日はあります。僕が、毎日セットに顔を出しているのは知っていると思いますけど、多分最後の日までそうすると思います。セットに来て他の人の演技を見るだけで、ちょっと違うんですよ。この前来た時は、あなたと(ソウル役の)オデンカークとの最後のシーンでした。
ブライアン:そうだった
アーロン:ただ座って観ていたんですけど、なんか芝居を観ているような感じでした。一番前の真ん中で、楽しかったですよ。毎日、最初の日から、こんな特別なものに参加できて僕らはなんて幸運なんだろうって感じていました。そしてそれが終結を迎えようとしている今、それをよりいっそう毎日実感します。
ブライアン:そうだな。
アーロン:最終話を読んで、どうなるかが分かるとやはり辛いもんです。もう彼らについてはこれっきりで、何も続いていかないって思うとなおさらです。ゴールがあって、そこに今まさに辿り着こうとしているってのは凄いことですけど、もうジェシーの肌の中に自分が入ることはないって思うと少し悲しいです。
ブライアン:確かにな、でも全部良いことだ。
アーロン:確かに良いことばかりです。
ブライアン:役者をやっていると、これからどうなるのかと考えたりする。私は死亡記事を読むのが好きでよく読むんだが、
アーロン:へぇ。
ブライアン:毎日死亡記事を読んでいるが、それは別に変な幻想とかではなくて、
アーロン:人生ですよね。
ブライアン:誰かの人生が凝縮されたものを見たいんだ。それが記事やニュースになるということは、その人は何かしらのことをしたということ。記録されるに値されることを成し遂げたと言うことだ。パーキングメーターを発明したとか、熱気球に乗って旅したとか、どんなことでもいい。彼らの冒険の縮小図みたいなものなんだよ。そこで、自分はどうだろうと思うんだ。今までは、「マルコム in the middle」だっただろう。今なら「ブレイキング・バッド」だ。そして「ブレイキング・バッド」が僕の死亡記事の見出しに含まれるとしたら、それは凄く誇りに思えるね。「ブレイキング・バッド」に出演していたスターが爆発してバラバラになりました、とかね。そんなことを考えると、これで良かったって思えるよ。これが僕のキャリアの頂点だとしたら、
アーロン:これでいい。
ブライアン:完璧だよ。
アーロン:そうですね。
ブライアン:最高だったからな。
アーロン:本当に最高でした。
ブライアン:だな。
アーロン:ええ・・・(涙)。ちょっと悲しいですけどね。
ブライアン:エンディングがどうなるかは言わないとして、この終わり方に満足している?
アーロン:していますね。
ブライアン:本当に?
アーロン:ええ、本当です。
ブライアン:ちょうど良い?ふさわしい?
アーロン:そうですね。どうなるかは言えませんが、それを声に出して喋ってみた時は、そりゃあもう…。そしてやっぱり驚きがあったな。満足しましたか?
ブライアン:ああ、かなり良いと思う。ダイナーの席で食事を注文して、それでブラックアウト(シーズン5第1話の冒頭)。
アーロン:そうですね、ブラックアウトして、なお多くの疑問は残されたまま。その曖昧さが絶妙だ。美しいです。正に食べようとしている食事そのものだ…。そこが繋がっているのか。繋がりがありますよね。全部考え抜かれている、彼らは凄いです。
ブライアン:素晴らしいよ。
「ブレイキング・バッド」の第1話を初めて読んだ時は本当に面白くて、一気に読んだよ。途中で止められなくなった。それで、すぐに代理人に電話してこの仕事がどうしてもやりたいと話した。共感できるだけでなく、心が奪われるような作品にめぐり合えるのはとてもレアなことだからね。それに脚本が面白いし、説得力もあって心に残る。魅了される部分も多いのに、不安にさせられる部分もあって、人間の様々な感情が呼び起こされる。そんな作品の主人公を演じられたら素晴らしいなと思ったんだ。この男がガンの診断をされて抗がん剤や放射線治療の影響で体重が激減することは分かっていた。髪を剃らなきゃいけないこともね。まあ、頭を剃るのは開放的ではある。でも男性ならほとんどが、そんなにこだわりはないんじゃないかな。それに皆どこかで思い切った行動をしたいと思ってる。違うかな?それにすぐ生えてくるし。だから髪型は自分にとってはそれほど大きな問題ではなかった。演じることが好きだし、役作りに必要とあれば全く問題ない。それに外見を大幅に変えることは、役者にとって素晴らしい仮面になる。まあ、ドラマが終わったら髪も伸ばして体重も増すから、この常に腹が減ってるような外見は変わると思うよ。
だいぶ調整が必要だったよ。「マルコム in the middle」はシーズン7まで続いたんだが、本当に楽しかった。毎日、楽しいことをして、人を笑わせるのが仕事だったんだ。人を笑わせて、自分も楽しむ。そんな毎日だった。楽しい思い出がたくさんできたよ。いつまでも心に残ると思う。この役とめぐり合うための、新しい扉を開いてくれた作品だったしね。「マルコム in the middle」をやったからこそ、今ここにいるんだと思ってる。次の仕事をもらうための手助けをしてもらったよ。役者にとって、自分の実力を見てもらえるチャンスがあるというのは、すごく恵まれていること。役者にとって必要なのは、それだけだと思う。自分を売り出したり、誰かに助けてもらったりすることはない。実力が全てだ。だから、それを披露する機会があるかどうかが大事なんだ。
そうだね。自分の中に、ウォルターと同じ部分を見つけることができたとは言えない。だから、別人だととらえるようにした。チャンスをつかめなかったことを、30年近くずっと後悔していてその事でずっと落ち込んでいる、50歳の男。私が思うに、社会学的にはそういう人たちは2つのカテゴリーに分けられる。まずは、世間に対して腹を立てていて、自分の不運を世の中のせいにする人たち。彼らは基本的に辛辣で、不信感で一杯で、気難しくて傲慢。それに対して、全て自分の中だけで爆発させてしまうような人たちがいる。そういう人たちは世間に対しても自分自身に対しても何も主張しない、透明人間のような存在。シリーズが始まった頃のウォルター・ホワイトはまさにそんな感じだった。体重も今よりも8キロ近く重くて、わき腹にも肉が付いてた。それにいつも同じような髪型をして、おかしな口ひげを生やしていた。外見は気にしない男だから、あえて周りから「何でその髪型?何でその口ひげ?」って思われるようにしたんだ。血色の悪い顔で、ヒゲの色は明るくした。メイクのフリーダ・バレンスエラのアイディアで、まゆげも色を抜いて、ヒゲは口角より長くならないように整えた。口角より長くなると、男性的になりすぎるから、常に短く切って色を明るくして、ぺたっとさせた。それに、ドラマの中でかけているメガネは、この男が世間からだけでなく自分の人生からも逃げてるんだっていう仮面をかぶるのにとても役に立った。ただ生きているだけだったから、いつしか本来人間が持っているはずの感情を出さなくなって、それにも慣れていった。だからウォルター・ホワイトはある時から感覚を失くしてしまったんだと思う。でも自分が末期の肺がんで、手術もできず、余命が1年半から2年ぐらいしかないことを聞かされる。皮肉にも死に直面してこの25年で初めて、生きていることを実感するんだ。そしてこのドラマの核心である「自分がもし1、2年しか生きられないとしたら、どんな風に生きるか?」という疑問が投げかけられる。だから、その部分には感情移入してもらえると思う。
いい質問だね。善良な男が、最悪な選択をするとても複雑な物語だからね。ただ、ウォルターは正当な理由のためにやっていると思ってる。今までずっと善良な人間として生きてきて、交通違反もしたことがないし、常に法を守ってきた。それがここに来て、モラルを無視し、自分の死後を考えて家族のためにと自分勝手な選択をする。彼にとってたった1つの武器は、化学。化学の知識を使って、麻薬を製造することならできる。ウォルターは、宝くじに当たる以外には、これしか方法がないと分かってるんだ。そしてすごく極端な行動に出る。これ以外には方法はないと思ってしまった。体が動く1年ぐらいの間に、自分が死んだ後の家族のために少しでも何か残してやりたいとね。家族がお金に困るようになったら嫌だし、自分のことを病気でしょぼくれた男として思い出して欲しくないって思ったんだろう。
ドラッグの世界のことでウォルターが知っていることと言えば、製造することだけ。それ以外は何も知らないんだ。流通のことなどは全く分からない。だから、その世界を知っている人が必要だった。それでどう血迷ったのかバカな青年をパートナーに選んだ。他にディーラーを知らなかったからね。まさかその辺の街角で聞くわけにはいかないだろ?2人は一緒に組むことにするが、水と油のような関係で共通点も全くない。ウォルターはジェシーのことが好きでもないし、ただのバカだと思ってる。 使えるし、必要なバカとでも言おうか。共通点もなければ、特に好きでもない相手だけど、いないと困る。ジェシーも同じように思ってるだろうね。だから2人は仕事をするために、お互い我慢することになる。
役者が仕事をする時に重視するのは、ストーリーだからね。リアリティがあって、視聴者が物語の中のジレンマを感じられる作品でなきゃならない。モラルの問題のようなジレンマがなければ、ドラマは生まれない。ただパーキングメーターのお金を盗む話だったら「だから何?」って拍子抜けするよ。クリスタル・メスという恐ろしいドラッグを製造するという危険があるからこそ、ドラマのテーマが盛り上がる。それにシリーズを通して、作り手にも責任が生まれる。ドラッグディーラーを喜ばせるストーリーではなく、真実を伝えていかねばならない。だから、ウォルターは自分の選んだ選択によって、地獄を見る。見るべきだと思ってる。それほど恐ろしいドラッグだからね。ドラッグを製造して世に広めたことに対しては言い訳なんてできない。ウォルターの視点から言うと、やらなきゃいけないって追い詰められて、他に選択肢はないと決意したことではあるがね。
全くなかったよ。アメリカ南部の口語表現なんだってね。理由は何であれ、人間が道を踏み外してしまうことを意味してる。物語の中でも、お堅くて温厚な男が法を破り、ドラッグディーラーになる。びっくりする展開だよ。特殊な状況に置かれたら、仕方がない部分もあるのかもしれないけどね。
そうだね。ガンだっていう事実も、できるだけ家族にバレないようにしてる。そんなこと絶対無理なのに。それにクリスタル・メスを製造しているっていう事実も隠し続けるつもりでいる。だってそんなこと妻に言っても理解されるはずがないし、離婚の原因になるだろ?「ハニー、実はね…」なんて、とてもじゃないけど言えない。それに、どうにかして逃げ切りたいって希望も持ってるんだ。1年の間にお金を作って、それをどこか秘密の口座に入れておく。それで自分が死んだ後に家族が受け取れるようにする。家族はそのお金がどうやって、どこから来たものなのかは分からない。その上で自分は捕まらないっていうのが希望だ。
確かに「マルコム in the middle」で白ブリーフを履いたのは、なかなか面白かった。ドラマの中のハルというキャラクターも、子供のまま大人になったような男だったからぴったりだったしね。でも「ブレイキング・バッド」のウォルターが白ブリーフを履くって台本に書いてあったのを見て、「ウソだろ、またか?」って思ったんだ。それをドラマの製作総指揮のヴィンス・ギリガンに話したら、変えたかったら変えてもいいよって言われた。それで、衣装を決めるミーティングに参加した。様々なタイプの下着が、様々なサイズで用意されていたよ。ウォルターが履いてる下着はどれだろうって考えながら見ると、やっぱり白ブリーフ以外は考えられなかった。それでまた白ブリーフを履くことに決めたんだ。このドラマの場合、いい大人の男が白ブリーフを履くのはどこかもの悲しい感じがするなと思ったんだ。それに、感情のどこかが未熟であることの表れともとれる。ウォルターがある時点から色んなことを気にするのを止めたんだってことに気づかせてもくれた。外見に関しても、他の事に関してもね。それを理解することができた。
そうなんだよ。しかもそれが登場シーンだから、観ている方は「一体何なんだ?」って思うよな。でもそれこそが私たちの意図なんだ。視聴者に「一体何が起きてるんだ?」って思わせるのが狙いだからね。それで第1話を観終わる頃には、さらなる疑問が生まれるといいなと思ってる。
いや、必ずしもアンチヒーローだとは思わないが、すごく人間らしい男だとは思う。駄目な所や弱い所もあればいい所もあって、その全てをさらけ出している。昔は全然違っていたよね。主人公は100%いい人間で、刑事だったり役割がはっきりしていた。今はそれがだいぶ変化した。テレビの新しい黄金時代なんだと思う。レベルが上がったから、20年前と同じようなありふれたドラマじゃやっていけない。それでは成功できないんだ。
ジェシー・ピンクマンは、今時の若者だね。迷える青年っていうか、自分探しの途中なんだ。悪い人間ではないと思う。ただ、間違った世界に足を踏み入れちゃっただけで。でも何とか頑張って生きてる。
ホワイト先生は、ジェシーが高校時代の時の化学の教師。だから、この2人が組んでクリスタル・メスを製造するのは不思議な感じだよね。すごく興味深い、おかしな2人組だと思う。
そうだね。ジェシーと先生の間には愛情と憎しみの両方があると思う。ジェシーとしては、高校時代の記憶抜きにして先生とは付き合いたいんじゃないかな。ジェシーは先生のことをメス(クリスタル・メス)を製造することにかけてはすごいアーティストだって尊敬してる。本当にすごいなと思ってる。昔とは違う角度で先生を見てるんだ。でもしょっちゅう衝突してるからおかしな2人組だよね。ただ、ジェシーは先生のことを嫌いじゃないと思う。むしろ好きなんじゃないかな。最初の頃は、嫌いっていうよりうっとうしいと思ってたけどね。でも今はどこか似てる部分もあることに気づいて、まんざらでもないんだ。
そうそう、その通り。ジェシーはクリスタル・メスを作ることをアートだと思ってる。それがジェシーの馴染みのある世界だし、ずっとそうやって生きてきたんだ。だから、ものすごく純度の高いクリスタル・メスを作れる男に出会って、「すごいパートナーに恵まれたぞ」って思ってる。喜んでるんだ。
実を言うと、この作品のパイロットのオーディションが一番最初だったんだ。でも台本は4、5作品くらい読んだかな。前のシーズンの時にね。このドラマの脚本を読んですごく感動したけど、この内容じゃ絶対難しいだろうなと思った。メスを作って売るドラマをAMCが放送するなんてあり得ないって思ったし。本当に魅力的な脚本だし、すごい人たちが関わってるけど、「これをどうやってドラマ化するんだ?」って、まずそこが気になったね。クレイジーなキャラはすごく好きだし、こういうストーリーって伝えるべきだと思う。こういう題材ってみんな話したがらないけど、どこかで起きてるような話だろ。だから伝えるべきだと思った。自分が出られるかってことは大して心配してなくて、単純にこれが作品化できるのかってところが気になった。
そうだな、一般的なメスの話や、薬物乱用のことかな。今はたくさんの人、特に親たちが、子供にドラッグやセックスや暴力のことなどを話さなくなった。少なくとも俺の親はドラッグやセックスの話はしてこなかったな。親がそういう話題を子供に対してオープンに話すことは、子どもたちにとっていいことだって俺は思う。例えば学校で何か問題が起きた時に、親に助けを求められるようになる。子どもたちは学校で色んなプレッシャーを感じて、悪事に走ることがあるからさ。このドラマはクリスタル・メスを作って売るっていうストーリーではあるけど、少しも美化してる部分がないしね。
実は知らなかった。キャストの誰1人として知らなかったし、俺も知らなかった。ヴィンス・ギリガンが天才なんだよ。本当に。すごい人だよ。
そうだろうね。俺もかなりのブライアンのファンだけど、「となりのサインフェルド」の時の頭のおかしい間抜けな歯医者と、「マルコム in the middle」の時のキャラも全く違ってた。マルコムの時はクレイジーで大げさで、子供みたいな父親。それが今じゃこの緊張感のあるキャラを見事に演じてる。そんな男と共演できるなんてすごくラッキーだよ。すごい才能の持ち主。ウォルターの中に「マルコム in the middle」のキャラなんて全然感じられない。完全な別人になりきってる。先生だとしか感じられない。
そうだな。先生は家族のためにと思ってやってるからだと思う。自分の得意分野を生かして、家族を守ろうとしてる。正しい選択とは言えないけど、それほど切羽詰ってるんだ。残された時間もあんまりないしね。とにかくウォルターは今の状態のまま夫と父親の役目を終えたくない。赤ん坊も生まれるし。だから正しくないって分かっていてもそれを選んで行動に移したんだ。
さあ、どうだろう。今はシーズン2だけど、これまで大して成功してないし。確かにメスの質はすごくいいけど、浮き沈みがある。だから分からないな。でもそういう変化があったら面白いかもな。ちょっとひねりを加えて、ジェシーが少し自信過剰になったりうぬぼれたりするんだ。で、その後ちょっとこらしめて、現実を分からせる。
笑っちゃいけないような所で笑っちゃうような作品だよ。例えば、ジェシーがガスマスクをつけて死体をバスタブに入れて溶かそうとしたら、しばらくしてバスタブが天井から落ちてくる。そこで笑っちゃうんだけど、「何で笑ってるんだ?体が溶けて天井から落ちてくるのに笑えるか?」って――
そうそう。面白かったでしょ。笑った?そう、それがこのドラマの面白さなんだよ。色んな魅力がある。ダークなのに笑えるし、撮り方もキレイだし、何よりストーリーが面白い。
きっとどんな報道もプラスになると思う。それがたとえ悪い評価だっりしても、それも結果的に役に立つ。「あんなドラマ見ないほうがいいよ。クリスタル・メスを作るドラマなんて、信じられない」って耳にした人が「え?そんなドラマあるんだ」って思って試しにチャンネルを合わせることも多いんじゃないかな。ドラマのあらすじを聞くと「何かひどそうなドラマだ」って思うかもしれないけど、実際に観てもらえたら、すごく面白いドラマだって分かってもらえると思う。
登場人物たちに共感できるからじゃないかな。例えば「デクスター ~警察官は殺人鬼」のデクスターみたいな殺人鬼には共感できないけどね。「デクスター」は面白いドラマだけど。とにかくこのドラマのキャラクターのようなアンチ・ヒーローだと、共感できる。全てを美化してるわけじゃないし。
それが「ブレイキング・バッド」だからね。きっと話数が進むごとにもっとレベルが上がっていくと思うよ。
ほとんどの事が、スカイラーにとって謎なの。ただ、(夫のウォルターが)ガンになったことが原因なんだろうなって思いながらも、他にも何かあるんじゃないかって疑ってる。絶対他に何か隠してるはずだって気がしてるの。1人子供を育てていて、もう1人生まれる時にそんな状態になって、スカイラーはすごく動揺してる。
初めて脚本を読んだ時は、本当にすごくオリジナルの作品だなって思った。ひとりの男がこんな風に道を踏みはずしていくっていうアイディアが、幅広い視聴者にどんな風に受け入れられるんだろう?って思ったけど、そこが楽しみになった。観る側がどんな風に受け取るかは予想できないものね。でもストーリーは十分すぎるほど魅力的だし、ウォルターが置かれている状況や、家族のことや仕事のこと、彼自身が経験することには、すごく納得できるの。一見そうは見えないんだけど、実はすごく納得できる。それにウォルターはどこにでもいるような普通の男性だから、感情移入もできると思う。
本当よ。突然こんなに変身するなんてね。でもウォルターはこれまでの人生で、ずっと本当の自分を隠してきたんだと思う。それが、今の状態になって自分がしなければならないことに気づく。これまでずっと見ないようにしていた事と向き合わざるを得なくなる。そして一度タガが外れてしまったら、もう元には戻らない。
ええ。彼自身も、自分の人生に対して目が覚めたって言ってる。だから本当にそうなんだと思うわ。
いいえ(笑)。一度も聞いたことがなかった。「どういう意味?」って思ってたんだけど、脚本を読んでなるほどって思ったわ。今は理解してるし、素晴らしい言い回しだと思う。
ブレイキング・バッドは、道を踏み外すっていう意味だと思う。きっと色んな意味があるんだろうけど、間違った道に進んでしまうことだと思うわ。ある道を進んでいたんだけど方向転換をしたことで、壊れてしまう。一度壊れてしまったものをどう直すのか?それが一番の問題。
これまで何度か答えたことがあるんだけど、最初このドラマは道徳劇なんだって思ってたの。でもあとでヴィンス・ギリガン(製作総指揮)が全然違うって言ってたのを聞いたから、答えを訂正しなきゃ。モラルもすごく重要な要素だけど、それぞれのキャラクターがそのモラルとどうやって折り合いを付けていくのかも描かれる。実際に道を踏み外してしまうのか、選択を迫られるの。これまでモラルや信念を持って生きてきたとしても、物事は変わることもあるからね。それに人生には色々なことが起きるから、キャラクターたちがどんな風に順応していくのかが見所。それに、このドラマでは、どのキャラクターに対してもいい人とか悪い人だとか決め付けていないのが面白い。ウォルターの選択はもちろん正しいことではないけど、正しくないって分かっていてもなお彼の動向が気になる。ウォルターはどこにでもいるような人だから、理解できる部分もやっぱりあるの。それは、ウォルターがなぜその選択をしたのか、その理由を理解できるからだと思う。同意しているのではなくてね。だから、視聴者は自分のモラルと葛藤することになる。それって脚本の質が高い証拠よね。観ている人に考えさせるの。「自分がこの立場だったらどうする?」ってね。
ええ、本当にそうよね。キャラクターの人間性が最初から本当に魅力的に設定されていたっていうのもあるわ。それで実際に演じることでさらにオリジナリティーが出る。キャラクターが身近に感じられるし、より魅力的になる。見ているとどんどんリアルに感じられる。ウォルターはただの悪人じゃない、ただのバカでもない。ただ、自分の選択によって生じた問題に、対処しなきゃいけなくなってるだけ。
はっきりは言えないけど、スカイラーも間違いなく変わり始める。きっとスカイラーとウォルターって似ているところがあるんだと思う。2人とも夢や願望があったけど、それを一度諦めてるの。家族のため、障がいのある息子のために、って2人とも一生懸命やってきた。それは最初に夢見ていたものとは違うかもしれないけど、何とか自分たちなりに家族を作り上げた。だからこれからは、スカイラーが昔どんな事を思っていたのかが明らかになっていくと思う。彼女がもっと若い時や、独身の時や結婚したばかりの頃にね。今のスカイラーは家のことを全て切り盛りして、家族全員のことを考えてああしろこうしろってうるさく言ったりしてる。でも心の底では違う思いがあるのかもしれない。全てに対して主導権を握って「こんな問題が起きたけど、こうしてみましょう」なんて取り仕切ってる顔の裏には何か別のものがあるかもしれない。きっとそれだけじゃないはずだもの。だから、それぞれのキャラクターがみんな道を踏み外すかどうかの瀬戸際に立つけど、彼女の場合は特に面白いと思うわ。
私はそういう風に受け取ってる。ヴィンスがどう考えてるかは分からないけどね。だからその部分はシーズン2で明らかになっていくと思う。少しずつではあるけど。それに、誰にだって生きていればふと「自分の人生こんなはずじゃなかった」って思うことってあると思うの。それがまさに今のスカイラーね。
そうかもね。でもどちらも、下着姿のままうろうろするのが大好きなキャラクターではあるわね。その部分では親しみを感じるかもしれない。でも下着姿のままうろうろするにしても全然タイプが違うし、下着になる理由も違う。「マルコム in the middle」の世界観から、この作品のブライアンへの変化は普通じゃないわ。役者の素晴らしい変身ぶりを見られるのは贅沢よね。
そうね。この家族のハッピーな朝食風景ってまだ見たことがないよねってよく話してる。朝食ではいつも緊張感が漂っているから、きっと夕食はもっとましなのかもってみんなで冗談を言ってるわ。一日の終わりにはその緊張感も少しは少なくなってるかもねって。でもお互いの顔色を見ながらお皿の音だけ響く一日のスタートなんてどうなのかしら。もちろん色々なことが起きているから仕方がないのかもしれないけど。でもジュニアはきっと母親と父親の顔を交互に見ながら「一体何なんだよ。もう学校行っていいよね?」って思ってるんじゃないかな。ジュニアは何が起きているか具体的は知らないの。まともな親なら、そういうのを子供には見せないようにするんだろうけど、2人にはできない。どうしても漏れてしまうの。
そうね、そうだと思う。何かが起きてるな、って気づいてる。
どうなんだろう…面白い質問ね。毎日のマスコミの報道が影響しているせいなのか、世の中で実際に起こっていることが原因なのか分からないわ。昔は西部劇のようなヒーロー物があったけど、今はそういうキャラクターに真実味が感じられないというか、共感できなくなってるからなのかもしれない。ただ、連続殺人犯が主人公のような作品の場合はちょっと分からないわ。でも、昔に比べてより複雑で混乱している現代では、悪い事でもしたくなる瞬間が誰でもあるんだと思うの。だからとんでもない行動に出るのが物語の主人公で、それがすごく人間味がある人だったらやっぱり見てみたいと思うのかもしれない。人間なんて美しいところばかりじゃないし、白黒はっきりしている人なんてほとんどいないから。
それは絶対あるわよね。でもそのモラルの部分は、今現在ドラマの中心ではないの。シーズンを通して流れている部分ではあるけどね。それがこのドラマの面白さなのよね。大事な要素ではあるけど、その事でウォルターの行為を糾弾したり、悪だっていうレッテルを貼るようなスタンスでは決してない。だから観る人それぞれの捉え方で違ってくると思う。みんなそれぞれ意見も考え方も、経験も違うわけだからね。ただ、今はまだウォルターの行為は明るみになっていないけど、いずれ真実は明らかになると思う。
その通りだと思うわ。コーエン兄弟っぽいユーモアがあるっていう意見を聞いたことがある。それがこのドラマの面白さよね。観ていても感じるけど、新しい台本を読むと「は!?」って息ができなくなりそうになったり、突然笑いが止まらなくなったり、誰かのセリフに「ええっ?」ってびっくりしたりの繰り返しになるわ。すごく巧みに、急に方向転換したりするしね。それがこのドラマの魅力。
それはあるわ。どんな作品だって、自分がどんなに最高だって思っても人気が出るかなんて誰にも分からない。だからこのドラマはすごく成功したなって感じてる。みんな本当にワクワクしてるの。シーズン2が始まって、明るくてとてもハッピーな雰囲気。もちろん仕事は真剣に取り組んでるけどね。全てがうまく進んでいくだろうなって気がしてる。素晴らしいことよね。
ええ。それに素晴らしいなと思うのが、様々な年齢の、経歴もバラバラの人たちから、予想もしないような場所で「ドラマ観てるよ、最高」って声をかけてもらえること。本当に層が厚いの。そのことにもすごく満足してる。
実はそうなんだ。自分にとって最高の仕事だよ。
確かにね(笑)。これは大丈夫なのかな…とは思った。このドラマを見るまでは、テレビでどこまで表現できるのか分からなかったんだ。でもテレビでできる最高のドラマだと思うよ。だって、アクションもあって暴力シーンもあるんだからね。
それがウォルター・ジュニアのリアルな生活だからね。それに、障がいがある人はみんないじめの経験があると思うよ。
そうだね。でも、僕自身うんざりするくらいやられたよ。でもいい友達に囲まれていたから、そこまでひどいことにはならなかった。
だってガンだっていうことを隠していたり、昼も夜も姿を消すことが多かったり、仕事ばかりしてるんだもん。そんな父親に対しては、誰だって怒りたくもなるよ。
ドラマがスタートしてから、ウォルターは本当にどんどん変わっていく。悪者みたいになって髪の毛を剃ったり、突然びっくりするようなことをする。でも、ナイスだよね(笑)。
何日か前に「マルコム in the middle」を見たよ。別の役を演じてるブライアンを見て、比べてみたかったんだ。演技を通して共通している部分は少しあったけど、クリスタル・メスを製造したり銃を持ち歩いたりするシリアスなキャラクターとは全くの別人だった。本当に正反対だったよ。
実は、ドラマが始まるまで知らなかった。だから、ドラマのタイトルを初めて見た時は「どんな内容なんだ?」って不思議に思った。意味を知らなかったからね。だから自分が出演することになって初めて理解できたんだ。確かに、ブレイキング・バッドだよね。
社会で生活していた普通の人間が、突然おかしくなって悪の道に進んでしまう事かな。本当の意味は分からない。専門用語なのかな。でもそれが僕が考えるブレイキング・バッドの意味だよ。
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