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海外ドラマ最新レポート Vol.263 「サタデー・ナイト・ライブ」に出演できなかった悔しさバネに コメディアンから脱皮したジョーダン・ピール監督

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同名古典シリーズのリブート版「トワイライト・ゾーン」で製作総指揮、ホスト、ナレーターを務めるジョーダン・ピール。初監督作品『ゲット・アウト』で2018年のアカデミー賞オリジナル脚本賞を受賞した時代の寵児で、現在のハリウッド、最も売れっ子クリエーターの一人である。
 
日本ではホラー監督のイメージが強いかもしれないが、最初にピールが世に出たのはコメディアンとして。1995年から14シーズンに渡り、米FOX系列で放送されていた「マッドTV!」に、一時期レギュラー出演していたのだ。「マッドTV!」はポップなおバカネタに溢れたコント番組で、アレックス・ボースタインやケン・チョンなど今も一線で活躍するコメディ俳優を多く輩出した。
 
ピールが出演していたのは、2003年からの5シーズン。その契約終了が近づいた頃、ピールはある番組の出演オファーを受けた。現在も米NBCで放送中の伝説的コメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」だ。 ピールはオバマ大統領の物まねを得意としており、政治をネタにしたコントで知られる「サタデー・ナイト・ライブ」にしてみれば、ノドから手が出るほど欲しいコメディアンだったのだ。一方、ピールにとっても願ってもない話だった。「サタデー・ナイト・ライブ」はピールの憧れの番組。コメディアンとしての夢が叶ったと思った瞬間だった。
 
しかし、そこに待ったをかけたのが「マッドTV!」のプロデューサー。そもそも「マッドTV!」は打倒「サタデー・ナイト・ライブ」を目標に立ち上げられた番組だ。ライバルに塩を送るような真似はしたくない。契約書を盾に、ピールの「サタデー・ナイト・ライブ」出演は露と消えた。それを知ったピールの心は怒りで満ちた。当時のプロデューサーに対して「人の運命をチーズのかけらみたいに扱った」(ピール)と恨みに恨んだ。頭の中でアメコミさながらの復讐劇を練るまでに怒りが達した時、突然ひらめいた。
 
「オレがプロデューサーになればいいんだ」(ピール)と。「芸術やコメディに対して決定権を持っているのが、プロデューサー。けれど、彼らは何にも分かっていない。だからオレがプロデューサーになって作品に芸術を持ち込めばいい。彼らの作品に勝ってみせる」(ピール)
 
「マッドTV!」の契約終了から『ゲット・アウト』公開まで9年。途中、自身のコメディ番組をヒットさせるなど、悔しさをバネに才能を開花させた。長い道のりだったが、結果はピールの大勝利だ。一コメディアンとして「サタデー・ナイト・ライブ」に出演できていたとしたら、才人ピールだけに、別の成功もあったかもしれない。しかし悔しさからの成功の味はまた格別に違いない。芸術と夢に、コメディのスパイス。それがピール作品の持ち味だ。
 
 
<「hollywoodreporter.com」  2019年4月4日>